2024年になったのか
最初に死んだのは母でした。
母は、死ぬまで私たち兄弟と向き合わなかった。
私はたぶん、死に触れることの多い子供だったように思います。
◇
母は『家庭』に対する憧れが強く、我が子がほかの子供より秀でたときはすごく喜んでくれましたが、反面、怒ることの一切を放棄した人でした。私が友達の自転車を壊したときも、弟が友達の頭に石を投げて怪我を負わせたときも、すべて金で解決させました。
母の怒りの矛先は父でした。
浮気を繰り返す父を恨み、猜疑心に支配された心で父を監視する瞳を覚えてます。
「ねえ、妹が欲しい?」
欲しい、と返事をすれば抱きしめてもらえる。だから私はいつも同意しました。
今思えば、母にとって子供とは、父を繋ぎとめておく手段だったのかもしれない。
「いい子だね」
世界で一番好きな言葉でした。
◇
聡明な弟が家庭に見切りをつけるのは早かった。彼は趣味をみつけました。大人になった今でも続けている趣味です。彼はこんな家庭で育っておきながら、うまいこと逃げ道をみつけました。
私は逃げられませんでした。私は母の愛が欲しかった。
◇
小学校。ハウスキーパーが母に、子供を塾に通わせてはどうかと打診した。私が習字を辞めた翌月でした。母と過ごす時間が欲しくて習字を辞めたいと駄々をこねる私に「賞を取れば習い事を辞めていい」と条件をだされ、私は早々に成果をだしました。
やればできる子供。その自覚があった。要領が良い子供だとよく言われました。教師に評価されてもなんとも思わなかったけど、評価された私を誇る母が好きでした。
ハウスキーパーは、そうした私の挙動を見抜いていたんだと思う。目敏い女でした。
彼女がどうして私の歪みに気づいたかはわかりません。母が触れた猫を窓から落とした瞬間を見られたのかもしれないし、弟とセックスしたのがバレたのかもしれない。
理由は定かじゃありません。だけど彼女は確かに『母・私・その他』という箱庭で生きる私の排他的な思考を懸念していた。
私の身を案じてくれた最初の人間。
いまなら理解できます。
だけどあの頃の私には敵でした。
勉強なんて一人でできる。その気になれば一番なんて容易い。聞けば、父も子供の頃から優秀だったという。私はそんな父の遺伝子を継いでいた。人と同等の努力で人一倍をこなせる。私が一番になればなるほど母が頭を撫でてくれる。母が抱きしめてくれる。母が。
母が。
「おとうさんがえっちなことをするときにこれをつかってました。使い方を教えてください」
私にはセックスの知識があった。母の居ない日、女を連れ込んだ父がベットでしていたことを覗き見たし、弟とそれを実践した。
「おとながえっちするときは、これ使うんですよね?」
寝室に隠されていたコンドームを一枚持って、塾の先生に質問しました。強制的に塾に通わされるようになった私が、先生の異常性に気づくのは早かった。この人なら答えてくれる。
先生はコンドームの端を掴み、光に透かすようにひらひら振ると
「…はぁ」
と気が抜けたように答えました。ひょろっと長いからだでふらふら歩き、んー、と唸るのは先生の癖です。先生は部屋の中で短い距離を歩いた後、ふらふらと私の前まで戻ってきました。
「長年個人塾を営んでいますが、性教育をするのは初めてですよ。ちなみにアナタ、初潮は迎えましたか?見たところ色々と育ってない気がするんですけど。来てないならコレはつけなくても大丈夫ですよ」
先生は変な人だった。
子供と同じ目線に立ってくれる大人といえば聴こえはいいけど、たぶんあれはそうじゃない。単純に子供も大人も平等に『人間』として扱う人でした。大人に敬遠される大人です。
「ぼくがセックスを経験したのも学生時代でしたが、最近の子供は早いですね~。ぼくが子供の頃は小学生で性行為に耽っている子はいなかったなあ」
ダメとは言われませんでした。それどころか、いまの身体なら生物学的にリスクはないという説明さえされました。
「どこのだれからゴムをもらったか知りませんが、男性はエチケットとして自らが装着するものです。それでも使い方が知りたいですか?」
私が頷くと、先生は気だるそうにペットボトルを持ってきて、実地で説明してくれました。
小学校4年生にしてゴムの裏表を知り、感触を覚えた私は、きっと早熟な方でしょう。一通りの説明を終え、手を洗ってゴミ箱にゴムを捨てた先生は、嫌なものをみる目で私をみました。
「アナタはあれですね。前世の記憶を持ったまま子供に転生した女みたいな雰囲気がありますね」
「頭が良いからですか?」
「その歳で人を差別するからです」
家庭環境に問題がある子、というのを、先生は知っていたんだろう。塾は家から歩いて3分程度の近場にあり、派手で若い母のヒステリックな怒鳴り声は近所で有名でした。
「いやだなあ。ぼく、女ってきらいなんですよ。強欲でがめついくせに自立心がない。アナタの家の子がうちに通うと聞いたとき、てっきり弟さんが来ると思ってました。長女であるアナタを育てたところで、跡継ぎにはなりませんから」
嫌いなものを嫌いという私の性格は、この人の影響かもしれません。先生は「弟さんは勉強に興味はないんですか?」と、生徒である私より弟に興味を示す始末でした。
「弟は絵の先生のところに行きました。塾に通わなくても勉強できる子なので大丈夫です」
「アナタもできる子の部類ですよ。勉強は好きですか?」
「大好きです」
母が褒めてくれるから。
◇
私はその次の日、『ハウスキーパーが家に男を呼んでふしだらな行為をしていた』と嘘をつきました。
コンドームのなかには卵の白身を泡立たせたものを仕込み、くちを縛ってゴミ箱の奥に捨てました。保険として作っただけで、見つかるかどうかは賭けでしたが、大人はきちんとそれを発見してくれました。
大人はまんまと私を信じました。
証拠があったからです。
私が捏造した証拠です。
ハウスキーパーは、身に覚えの無い嘘に動揺して言い訳していました。しかしやがて出てきた証拠に、信じられないものをみるように私をみて、それから諦めたように謝りました。
「どうしてこんなことしたの?」
ハウスキーパーが家を出ていくとき、彼女は一度だけ私に聞きました。
私は何も答えませんでした。口は災いの元です。
◇
「アナタのお母さんは、馬鹿な女ですね」
長年雇っていたハウスキーパーが辞めさせた頃、先生は言いました。人の子供に「おまえの母は馬鹿だ」と告げられる大人は、この世に何人いるでしょう。憤るより反論するより、まず驚きました。ひとさまの家の内部事情に、これだけズガズガ踏み込んでくる大人も珍しい。
「ハウスキーパーの話聞きましたよ。ゴムの使用方法について聞いてきたのはそういうことだったんですね」
「………。」
「ぼくは心理学を学んだことはないので、発達心理についてはまったくわかりませんが、アナタがお母さんの影響を受けて歪んでることは、なんとなく理解できます。お母さん以外に信頼できる大人はいませんか?」
学校の先生、という子供らしい答えに騙されてくれるほど、先生は単純じゃありません。
「誰もいません」
◇
父に飼ってもらったインコのぴいは、くちばしを粉砕して釘を喉に押し込んだらすぐに死んだ。雑巾を絞るようにインコの身体をねじれば足がもげて臓器がでた。きもちわるい虫も一緒にでてきたので、父のおにぎりに混ぜてみた。金魚をすり潰して混ぜたこともある。五穀米にひじきと少量の混合物。
父は両方喜んで食べた。
腹も壊さなかった。
人間は簡単には死なないらしい。
そうだ、死ねばいいのに。
母を悲しませる父は死ねば良い。
母は私が大事にしよう。
私が愛してあげよう。
行き場のない不安は、だんだんとおかしな衝動を帯びるようになっていました。
◇
当時、一番仲の良かったひまわりちゃん。◇
彼女を実験台にしました。ひまわりちゃんは明るくて優しくて、学級委員長をつとめる社交的な子です。だれもひまわりちゃんを嫌いなひとなんていない。だからこそターゲットにしました。
悪意を育てる実験。自分がどう振舞えば多くの人から「賛同」を得られるのか計りたかった。
誰にでも好かれるひまわりちゃんに、多くの悪意が向けば、それは私の功績です。
だってひまわりちゃんを嫌いな人なんていないんだから。
まず嘘はダメだ。あのハウスキーパーは利口だからこそ黙ったのだ。自分の立場がこれ以上汚れないために、ヒステリックな母に何を言っても通用しないと悟って、嘘を受け入れた。今度は事実を作らないと。その上で被害者に回る。
私は当時流行っていた「不幸の手紙」を友達の下駄箱に入れました。
『すべての内容を書き写して、一番仲が良い友達に回しなさい。回さなかったり誰かに話したりした場合、アナタは死ぬ』
ちょうどよかったのでぴいを捻り殺したときの写真も添えました。期限は三日。書き写しが手間にならないよう、短い内容にしました。
それにも関わらず、回ってきたのは三日後でした。ほかの子に回したかと不安でしたが、ひまわりちゃんはちゃんと、一番仲がいい私に回してくれました。
彼女が二日間、どんな思いで試行錯誤したのかを思うだけで愛しかったです。
私は写真を処分して、手紙だけ先生に報告しました。「こんなものが回ってきた。死にたくないけど、仲が良いお友達が死ぬのもいやだ」泣くのは簡単です。喋ってるうちに心が盛り上がってきます。その衝動に身を任せて泣けば良い。
学級会が開かれました。
私に手紙が回ってきたこと。
私がそれにショックを受けたこと。
かなしかったこと。
傷ついたこと。
私はそんなこと一言もそんなことを先生に言ってません。語られるそれらすべては先生の予想です。
話を聞きながら、ひまわりちゃんは苦しそうにうつむいていました。犯人を見たものは、白紙の紙に匿名で犯人の名を書けと先生が指示したとき、泣き出しそうな顔で私をみました。私は「ひまわりちゃんじゃないことは信じてるよ」というふうに笑ってあげました。
クラスメート達は興味心身に私たちをみていました。不幸の手紙の内容が「一番仲が良い友達に」だったからです。私たちは一番仲が良い。
私は匿名でひまわりちゃんの名を書きました。習字を習っていた私は、色んな文字の書体をマスターしていて、書き分けなど造作もないことでした。
ごめんねひまわりちゃん。ごめんね。
殺さないだけマシだと思って。
◇
数日後、私が呼びかけなんかしなくても、うわさは広まりました。
私がしたことは、ただ何も言わずにつるむグループを変えただけです。ひまわりちゃんを責めたわけでも、ひまわりちゃんが犯人だと言い触らしたわけでもなく、ただ静かにひまわりちゃんのもとを離れました。そしたらクラスのなかでカーストの高い男女が勝手に勘違いして、正義の名の下にひまわりちゃんを断罪してくれました。
「可愛い子が親友だから、きっとムカついたんよ。ひまわりちゃん可愛くないもん」
イジメは簡単でした。私は可愛かった。人に愛される容姿をしてました。人を操縦するのに、見た目ほど有効なものはない。
ひまわりちゃんは学校にこなくなりました。
私はなにもしてません。私たちがしたことは同罪です。互いに手紙を回しあった。ひまわりちゃんと私は、同じ行動をして、違う結果になっただけです。
◇
私がどんなに母を求めても、母は生涯、私をみることはないだろう。
諦めたのは小学校の高学年になってからでした。母は狂ったように父のことばかりで、全然私を見てもくれない。求める心に虚しさを混じり始めた頃です。
「先生はどうして先生になったんですか?」
「頭が良いからです」
「人を殺したことはありますか?」
「あったら今頃刑務所です」
「結婚はしないんですか?」
「ぼくより魅力的なひとがいるなら、明日にでも」
数学を愛する先生の美学は独特だった。三角形の内角180度を美しさの完成形として称えるし、地面に落ちてる松ぼっくりをみつけると「フィボナッチ数列ですねえ」としみじみ言って語りだす。
「先生はどんな人が好みなんですか?」
「そうですね。まず私の言葉の意味を即座に理解できるひとですね。1,1,2,3,5」
「……8」
「いまのアナタは好みですよ」
「犯罪ですよ」
先生が三平方の定理に欲情すると言っても私は驚かない。逆に「人には勃たない」と言われたほうが納得できるかもしれない。
私と30歳離れてる先生には不思議な色気があった。人類でひとりだけ三大欲求のサイクルから外れたような、不思議な気高さがあった。
「ぼくは昔から自分だけの世界で自己完結できるエコ型人間なんですよ。世間から孤立しても人に嫌われてもどーでもいい。アナタみたいに、内心で衝撃を押し殺すような繊細さもない。心に空洞があるのかもしれませんねえ」
「先生は変な人ですもんね」
「アナタは「変な人」になっちゃダメですよ。大多数と同じ意見を持てるなら、それに越したことはない。理性が正常で感性が狂ってるひとが一番生きづらいんです」
「先生はどっちですか」
「私は両方正常です」
「うっそだぁ」
先生が居場所になり始めていた。
母が私をみなくても、父が外で遊んでようとも、私には先生がいた。
特別を作らない先生がいた。
生徒が私一人だったことも幸いしたのだろう。週3回、4時間の塾は、私にとって気楽な場所だった。ドラマの話をしなくていい、好きな男の子の話をしなくていい、テストでひとり百点を取ったとき「すごい」と言われて「そんなことないよ」と謙遜しなくていい。
私は小学生のころカブ隊(ボーイスカウトの年少版)に所属していて、海外に行った経験もあってか、『小学校』という閉鎖的な空間が苦手でした。
同学年は知能が低い。同じ歳の同じ経験しか持たないコミュニティでまとまってるから感性の発達が遅い。対等に扱ってくれる大人が周囲に居ないから低脳で我侭。とにかく話が合わない・合わせなくてはいけないの連鎖で、窮屈に思っていたことを覚えてます。
◇
母が自殺したのは冬でした。
いつかはやるだろうと確信し始めた季節だったように思います。破滅の足音が近づいてきてる事を悟ってました。
母は父の目の前で首を切って死んだらしい。お喋りなハウスキーパーが教えてくれました。父が二週間帰らなかった日の夕方でした。
私が感情を封鎖した、一度目でした。
私はこの一件に関する前後の記憶がありません。学校で何があったかも、そのあとでいつ引っ越したのかも。人は本気で忘れようとすると、本当に忘却できるんだなあと思います。
◇
小さかった頃、文字の練習用に日記をつけていました。
母が死んだ日の日記には、まるで何事もなかったかのように学校のことと『イチョウの木』の話が書かれていました。
家の裏に立つ立派な大木。
『イチョウの木』には一言だけ添え書きがありました。きれいとかおおきいとか、その程度の。
日記は一日も欠けることなく書き進み、『イチョウの木』はたびたび出没してました。『イチョウの木』の太い幹について、絵が添えてあることもしばしば。
日記からはだんだんと文字が減り、途中から文字より絵が優先になり、最後は絵だけに変わりました。お絵かきはぜんぶ『イチョウの木』です。最後のページには、100を超える『イチョウの木』が描かれ、塗り潰されていました。私が記憶している限り、こんなものを書いていた記憶はないし、そもそも家の裏に『イチョウの木』なんてありません。
◇
父は、不良品を取り替えるような迅速さで再婚しました。
高校に上がる頃、家族はバラバラでした。私は相変わらず同じ塾に通い続け、先生の独特さに当てられた生徒が減ったり増えたりするのを見ながら、ぼんやりと日々を過ごしました。
冬が好きでした。母が死んだ冬が好き。静かになる冬が好き。
高校に進学して、ひとりの女の子に出会いました。
高校一可愛い、同じくクラスの女の子です。華やかで美人、明るくて笑うと口元にえくぼができる子。お父さんが警察官でお母さんが銀行員の、円満な家庭に生きてる子。
1年から3年まで同じクラスでした。私の運命をガラッと変えた子です。
◇
うちの高校は1組が特進クラスで、成績が落ちない以上3年間固定されたクラスで卒業を迎えます。うちのクラスは『群れずつるまず表面的には仲良く』という風でした。どうせここにいるメンバーとは大学も被るから無難にやろう、という考えが透けて見えて面白かったです。
私の一人行動は「マイペース」の一言で片付けられました。
かわいいという事実だけで、人に与える印象は常に良好でした。美人というほど近寄りがたさはなく、連れて歩けば「可愛い」とナンパされる程度の、中の上。愛想は良いしオシャレもする。いつも一人でどっか行っちゃうけど、数合わせのキープに囲っておけば男が釣れる。
そんな理由で優しくしてくれる人は多かったです。私もそれで構いませんでした。
一年の一学期、私は図書委員となって早々に部屋の合鍵をつくりました。
授業をサボり何度か忍び込んでいるうちに、司書の先生に見つかり図書主任に呼び出されましたが、先生は何かを勘違いして「つらいときはいつでも来ていい」と許可をくれました。
私はつらいことなんて何もなかった。
「高校は楽しいですか?」
「楽しいです」
「そう。ぼくも人生のなかで高校時代だけは楽しかった」
先生もきっと、ひとに恵まれた、という楽しさではなかったでしょう。
「成績もキープできてますし、バイトでもしてみたらどうですか?」
「先生はバイトしたことありますか?」
「葬儀屋で」
「葬儀屋」
その話がとても面白かったので、私も働いてみました。居酒屋、花屋、ケーキ屋、巫女、映画館の受付、和服屋さん。働いてみて思いました。私は働くことが苦ではない。タイムテーブルが埋まるほど精神が安定する。これはいい。
「忙しいのが気持ちいいです」
「マゾヒストの気質があるのかもね」
お菓子を食べながら勉強を教える塾を、羨ましがる友達がいた。特進クラスは常に普通クラスに落ちることに怯え、効率の悪いやつは自分を高める努力を二転三転させます。ひとつの場所さえ極められない人間が、境遇をころころ変えたところで結果は同じだろう。
私は二年に進学しました。
◇
学校に、一際騒がしいグループがありました。
モデルみたいな男女が終結したメンバーで、学年もクラスもちがう、接点が見えない寄せ集めの一団。そのなかに彼女はいた。
彼女には噂がありました。
エイズを発症したという噂です。
美人にして特進クラス。親は警察官と銀行員。異彩を放っているメンバーのなかでも、彼女は群を抜いて異端でした。とても性で遊ぶ馬鹿には見えなかったのでただの噂だろうと気にも留めませんでした。彼女自身にもさして興味はなかったです。
ただ、彼女のことは1ミクロンも知らなかったけど、彼女を成す名前の音はきれいだと思ってました。華やかな彼女の風貌を一言でまとめたように美しい名です。
羽柴唯。
便宜上、いちばん近い名前を設定しておきます。
ゆいと初めて接触したのは二年に進級した春でした。他校の男子と遊んだり初詣に行ったりするとき、車を持つ大学生と繋がってるゆいの幅広いネットワークは便利でした。
「羽柴さんエイズなの?」
「ちがうよ~」
「やっぱり?」
「HIVのキャリアなだけ」
ゆいはさっぱりした口調でいいました。彼女の病気に触れたことは、この一回限りです。
「私もずっと聞きたい事あったんだけど、お母さん自殺したときどんな気持ちだった?」
秘密を共有すると新密度があがるというのは本当でした。
私とゆいは急速に仲良くなりました。
特進以下って馬鹿じゃない?
海外どこ行った?
○○さんってうちの銀行希望してるから媚はんぱないんだよね。
警視庁進む男はとりあえずブックマークしてる。
ねえねえ薬やったことある?
じゃあセックスは?
私とゆいが足を絡めるようにくっつけば、一部のミーハーはきゃあきゃあ騒ぎ、私たちは面白がってわざと色香を匂わせる行動をしてました。歳の割りに色気のあるゆいと絡むと、男も女も私たちを注目しました。その視線が気持ちよかった。
「セックスしてきてよ」
ゆいが言いました。
お金が欲しいから身体で稼ぎたい、でもひとりじゃ不安だから一緒にやって欲しい。私の中でゆいの存在が大きく膨れ上がっていたころでした。
「わかった」
処女は、学年一かっこいいと騒がれていた男子で捨てました。ゆいがはじめてセックスした相手だったからです。
何度か登場するので名前をつけておきます。
むかしブログで使っていた名前です。
らく、です。
堕落の「ラク」です。
ラクは私を抱くとき、嬉々としていいました。
「ゆいちゃんと同じ抱き方されたい?」
このひとは性格が悪い人だ。
人生でもう二度と関わりたくないと思ったこの人とは、いまでも時々連絡を取り合う仲です。
◇
ゆいはわかりやすい愛情表現をする。贔屓にも独占にも躊躇いがない。だれとどこで何をしていたか逐一聞いて、気に食わなければ怒って、なのに心を病むことがない。
欲しいものや好きなものに貪欲な姿は潔かった。表立って私に執着するゆいに「大変だねえ」と声をかけてくる人は多かったけど、私だって同じくらい彼女への愛は深かった。
自分が人に執着される性質であることは、この頃くらいに理解した。
いろんなひとが私を好きだと言ってくれたけど、私はゆいじゃないとだめだった。
ゆいが勧める薬を迷うことなく飲んで、ゆいが嫌う子をいじめて、ゆいがお揃いのものを欲しがれば同じものを身につけた。彼女の好きなものを好きになり、彼女が嫌うものを嫌った。
ゆいはそういう人間だった。私の自己犠牲を愛してくれた。
マゾヒストの気質があるのかも。
先生が言っていた言葉を思い出した。
私は半年間、塾に行っていないことに気がついた。
◇
「髪が伸びましたね」
久しぶりに訪れた塾の景色は、相変わらずだった。何一つ変わっていない。変わったのは私の体重と、髪色と、化粧だ。私は見られることを意識するようになっていた。
先生は今までと変わらない態度のまま、小テストを行いました。
結果は散々でした。
「うっわ、アナタしばらく見ない間に馬鹿になりましたね。数学ほど自身の怠惰を顕著に現すものはありませんよ。まだ特進クラスですか?」
言われて、自覚した。
今日、学校でゆい以外の人間と会話しただろうか。
先生は上から下まで私をみて思いついたように「セックスしました?」と聞いた。
「アナタ、依存できる人を見つけたんでしょう。バイトはいくつ辞めました?あれだけ大事にしてた弟さんとは会話をしてますか?勉強時間は意識してますか?」
大変だ、と思いました。
大変だ。おかしい。どう考えてもおかしい。バイトと学校に行っているときの記憶がない。ゆいの一挙一動しか覚えてない。
私はあったことを素直に話しました。母が死んだときのイチョウの絵の話も、記憶になにかしらの障害をきたしていることも。ついでに動物を殺害した経験、死体を飲食に混ぜて父親に食べさせた経験、ひまわりちゃんを苛めたこと、初体験は弟であること。
先生は一言も口を挟まず、ちぐはぐに言葉を飛ばす私の話を最後まで聞いてくれました。
「人を殺したいと思ったことはありますか?」
先生は教科書を読むような静かさで私に聞きました。それが逆に怖かった。
「私は、あたまがおかしいですか?」
純粋な殺意だけなら誰だって抱く。私の問題は実行したことだ。小さいことだけど、人はまだ殺してないけど、生き物の命で実験した。疑問を抱かなかった。よくないことだ。
「兆候はあると思います」
先生は、曖昧な言葉で私を遠ざけなかった。病院に連れてくことも、異常者として詰ることもしなかった。
「合理的でありなさい。常識は知識として持っておきなさい。自分の異常性を人に話すのはやめなさい。自分の感情をコントロールできる強さを持ちなさい」
「精神論じゃ、わかんないです」
「アナタは道の真ん中で服を脱がないでしょう?これが理性です。脱ぎたくなる自棄や衝動が感情です。迷ったら、アナタ自身の物差しで測らずに、一般的に正しいか間違ってるかを考えなさい」
先生は、今までの私の行いを誰にも言うなといいました。
「表面上だけなら、アナタは良い子ですよ」
そうだ。
私は『良い子』だ。
だから大丈夫。
◇
それから私はブログで日記を書くようになりました。
自分の過ごした日々を刻むように、足跡をしっかりと残しながら、前に進めるように。前向きでした。正しく歩もうと必死でした。
最初は閲覧から始めました。ランキング上位にあるブログを片っ端から読み漁り、参考にさせてもらいました。なかでも目を引いたのが、同性の恋愛を創作するブログ『創作ブログ』というカテゴリでした。実際の同性愛者のブログは、じめじめだらだら重いものばかりでしたが、比較的ポップでサクサク進むこのジャンルは純粋に楽しめました。
なかでも上位の『相対性進化理論』さん。
作者・松本アキラ
ユニークで話に落としどころのある話は賑やかで面白く、いろんなキャラの目線から沢山の話が織り成されていくさまは巧みでした。いいな。このひとと接触したい。
私はすぐにサイトを立ち上げました。
ネットで使う名前。ネットを漂うとき呼称として使われるなまえ。反応しないといけない言葉。
母の旧姓にしよう。この苗字をもじろう。
『小さい頃には神様がいて』
千羽理人
初めてのオリジナルキャラです。サイトはみるみるうちにランキング上位に登りつめ、とある炎上をきっかけに、アキラさんから個人連絡をいただき、内心「やった」と思いました。
はじめまして、相対性進化理論の松本アキラです。こちらのブログの読者が、そちらで批判コメントを残したと知ってご連絡差し上げました。正直、すごいショックです。ご迷惑をかけてしまい申し訳ありません。(>_<)
あと、実はオレも千羽さんのブログみてました←
頂いたメールは、普段のテンションと顔文字を最小限に抑えた風な文章でした。
創作ブログというからには、主人公のキャラ設定もあるんだろうと思っていた私は、案外、キャラそのままだった管理人さんに好印象を抱きました。
ブログで初めて「ファン」「読者」という繋がりを持った私は、彼らとはどのような距離感でどのように振舞えばいいかを学びました。
感覚的には、接するというより捌くといった感じです。ひとつの記事に対して5も10も頂く感想メールに、いちいち渾身丁寧に対応してたら話が前に進みません。だけど対応が悪いと定着率も悪くなる。迷った末、私は読者を選抜しました。興味深い人、礼儀正しい人、めんどくさく無さそうな人、私と気が合いそうな人。
どんなに抑えていても言葉には性格が現れます。そうしたものを知るきっかけになったブログでした。
ブログは楽しかったです。
だけど一度は正してもらった感性を、ぐちゃぐちゃに歪めたのは、ゆいでした。
◇
「セックスしようよ」
冬になると、ゆいはおかしくなった。発言に統一性がなくなって挙動が落ち着かなくなる。プリクラを撮ってる途中で「トイレに行きたい」と言ってボックスから出たり、ファミレスでドリンクを取りに行くと告げて帰宅することもありました。
ちょっとおかしい、なんて柔なものじゃない。異常だった。
「…はあ?」
「セックスだよ。私、女の子のこことか触ってみたい」
自分の胸をやんわり持ち上げて、ゆいは私のベッドの上で笑いました。くるとこまできた発言に動揺することなく、私は聞きました。
「女の子同士のセックスってなに。どこが始まりでどこが終わり?」
「友達同士でしないことをしたら始まりで、飽きたら終わりじゃん?」
「ヤリ捨てじゃん」
「ねー、いーでしょ?いいよね?」
どうせ途中で飽きるだろうと、ベットにあがって転がりました。そしたら急に口の中に指を突っ込まれ、口内に指輪を突っ込まれました。私とお揃いで買ったピンキーリング。
「飲んで」
言われた瞬間、飲み込みました。
食道を通り抜ける鈍い感覚があったので、人体に影響はないだろうと後から考えました。どうだった?と聞かれたので「金属は初めて飲んだ」と素直に答えたらキスされました。
「良い子」
ゆいが天使みたいに笑って作業を進めたので、私は「私にして欲しいことはないか」と聞きました。されるならしてあげたい。
私は良い子。
◇
ゆいがパッタリ学校にこなくなり、三日も音信普通になったときの私の精神状態はひどいなんてものじゃありませんでした。家には帰ってない。学校にもこない。携帯はでない。友達は知らない。縋るような思いで何百件も電話しました。ゆいは四日後にメールをくれました。
ゆい:駐車場にいるから迎えに来て
私:どこの
ゆい:○○駅とかそこら
それからまたパッタリと応答がなくなって、昼に探しにでて見つけたのは夜でした。ゆいは制服姿で駐車場の隅で丸くなり、座ってました。
「寒いから温かいの買ってきて」
花束ほどのホッカイロを買って戻りました。
「なんで学校こないの?」
「ん。大丈夫、インフルエンザの偽装証明、セフレが書いてくれたから」
「は!?」
まったく意味がわからず、大声で聞き返した私をうっとおしそうにゆいはあしらい、今日はホテル泊まろうよと言い出しました。
「無理だよ、うちら制服じゃん」
「服買ってよ」
「服買ったらホテル入るお金なくなっちゃうよ」
「じゃあ男ひっかけるか」
腕を引かれて大通りにでて、お互い服を買ってもらって、3時間ちょっとえっちしたあと、ふたりでホテルに入りました。
「なんかさぁ、うちらのことみてさぁ、あの進学校通ってるってピンとくるひと、何人いるかなあ?」
「…いないんじゃない」
「私もそー思う」
ゆいが突然泣き出しました。
青痣ができた足を抱えたまま、ベットの上で泣きじゃくる彼女は子供みたいでした。
「お母さんがさぁ、あたまおかしいくらい、私のこと、すごい叩くんだよね。階段から落とされてさ、超痛いんだよね…」
ゆいを見つけたとき、なんでこんなに怪我してるんだと青褪めましたが、きっと彼女の母だろうということも見当がついてました。
「大人になりたい…。大人になりたいよぉ。大人になって、好きな人とだけいっしょにいたい。…いっしょに遠くにいこう。ぜんぶすてて、とおくにいこう。ふたりきりになろう」
こんなに可愛い生き物を、どうして彼女の母は苛めるんだろう。
奔放でバラバラだったうちの家族とは違う、絶対的な家族の支配下から抜け出せないゆいは、私とは違う形の不幸を抱えてました。助けてあげたい。支えてあげたい。私が。
「大人になったらなにがしたい?」
「…わたし、小説、書くの、すきだから、小説家になる」
「じゃあ私は編集者になるね」
お互いに支えって生きていけたらいいね。
ふたりでひとつになれたらいいね。
◇
「自分が万能ではないことに、そろそろ気づいたでしょう?勉強はしないと成績が下がるんです、退学は見聞悪いですよ~。そのレッテルはいつまでもいつまでも付き纏いますよ~」
あれだけ私に無関心だった先生が、ついに口を出してきたので、これはいよいよ本気で勉強しないとまずいと焦りました。3年にあがる進級試験、私は下から二番目でした。
「先生として聞かないといけないことなのですが、大学の第一希望は?」
「今言わないとダメですか」
「今言わずにいつ言うんです」
「○○大学」
「この成績で?ギャグですか?」
夜はわき目も降らず必死になって勉強しました。一日3時間。昔は平然とさらさら行えていた習慣が、遊ぶことを覚えた私には苦痛でしょうがなかったのですが、ゆいと一緒に同じ大学を目指すためだと頑張りました。
「どうして私は海外旅行で英語圏に行かなかったんだ…ポルトガル語が人生のどこで役立つというんだ…英語なんか嫌いだ…」
「がんば!」
「くっそ天才が!」
英語が嫌いな私に、ゆいはベットで戯れるとき「英単語の復習ね」と言って、罰ゲームを設けることが多くなりました。中途半端に脱がされたり、そんなところを舐められるくらいなら死んだほうがマシだ、と思うところに舌を這わされたり、とにかく負けることの多かった私は散々でした。
「大学生になったら二人暮らししようよ。東京の中心に住みたい。私たち頭いいし可愛いし、ふたりなら、なんでもできるよ」
枕を抱えながら未来を語るゆいの将来に、あたりまえみたいに私が存在することが嬉しかった。
ふたりでならなんでもできる。私も本気でそう思いました。
一人じゃもう未来すら見えない。
◇
次の日、学校に登校すると黒板に「レズビアン」とデカデカと書かれた文字の下に、私のなまえが書いてありました。
「…あ?」
本気で意味がわからなくてクラスを見渡す私に、クラスメートの半分は顔を背け、もう半分はくすくすと笑いました。
「なにこれ。誰が書いたの?」
「おまえさ、むりやり羽柴にキスしたってマジ?」
「は?」
当時、ゆいを好きだった男子の一人が、怒ったように私を詰めました。
「アイツすげえ泣いてたんだけど。つーかマジでレズだったの?きもちわりいよ、おまえ」
私の机を物凄い勢いで蹴り上げたソイツは、私の腕を掴んで廊下に放り捨てると、教室の外へ閉め出しました。頭が真っ白になる、というのは、たぶんこういう状況なんだろう。
自分の心臓の音だけがバクバクと鳴り響いて、手足が震えて動けませんでした。
それから一週間、意味もわからないまま苛められました。
ゆいはインフルエンザという仮病を使って学校を休んでいたため顔を合わす事はなく、携帯は着信拒否にされていました。かなり動揺したため家の前で待ち伏せたりもしましたが、そしたらゆいの取り巻きが「ストーカーしてんじゃねえよ!」と大声を出しながら私を殴りつけました。
意味が分からなかった。
ゆいが登校するようになり、何度か接触を図ったのですが、ゆいは私の顔を見た途端泣き出したり、怯えたりと情緒不安定で、そのたび周囲の人間が私を迫害しました。
私は初めて、人から敵意を向けられる対象になりました。
◇
「1組でイジメ受けてるよね?」
花が言いました。
体育のバトミントンでペアがいないとき、何度かペアを組んだ程度の子です。
花の周りにはブスが多く、私やゆいに憧れのような眼差しを向けてはベタベタと引っ付いてくる子でした。花自身も、中の下程度の顔立ちでした。
「だからなに」
「私と仲良くしよ!」
「なんで」
「可愛い子連れて歩きたいから。彼氏欲しいんだよね。あと、女の子とセックスしてみたい」
「私ブス嫌いだから無理」
「私気が強い子すき~」
それからずっと引っ付いてくる花を、私は一週間ぐらい「ブス」と呼び続けましたが、彼女はへこたれませんでした。花に連れまわされてるうちに、とある男と再会しました。
「なんでゆいに苛められてんの?ウケるんだけど」
ゆいと私の処女を持ってった男、ラクでした。
ラクは一年の後半で特進から準特進に移動しました。移動理由も馬鹿らしくて「準特進に彼女がいたから」だそうです。修学旅行で同じ班になりたかったとか。超馬鹿。ラクは私とゆいの変化が面白かったらしく、私を抱いたときと同じ、嬉々とした様子で私に尋ねました。
「ねえねえ、弁当どこで食ってんの?トイレ?」
ほんと馬鹿。
◇
なんだかんだで、私は自然とラクのグループに混ざるようになりました。男20、女2という異物感。
花は興奮したように
「イケメン取り巻いてるのすごい楽しい!」
と笑ってました。
馬鹿らしい。身の丈にあわない環境に喜ぶ花を馬鹿だと思いました。周囲がどんなに華やかだって、自分に光がなければ不恰好なだけだと、どうして気づけないんだろう。
ラクたちと一緒にディズニーランドに行った帰りでした。
前に、ゆいが篭城した駐車場の前を通過したとき、急に悲しくなりました。
「花さ、ホテル行こうよ」
男子20人がいるなかで、私は花を選びました。みんなぎょっとして私の言葉に突っ込みましたが、私は笑いつつも真剣でした。
「試したいって言ってたじゃん。いまならいいよ。泊まりになるけど、花がしたいことしてあげる」
花は二つ返事でわたしについてきました。
男子達は呆れたり驚いたりしながら、それでも興味心身に「写真送ってね!」と私たちを見送りました。
ホテルにつき、私は英単語の遊びを花に提案しました。
「間違えたら罰ゲームね」
ゆいが私にしたように。
ゆいとの思い出をなぞるように、私はゆいにしたいことを花にしました。花は男と女の違いに困惑しつつも、待ったをかけたり嫌がったりすることはありませんでした。
終わった後、花は悲しそうな顔で、私を抱きしめてくれました。
「ゆいちゃんは馬鹿だね」
どうしてここで、ゆいの名前がでてくるんだろう。
「アナタは可哀相だね」
私の何が可哀相だというのだろう。
ゆいと出会わず、あのまま孤独に生きるほうがよっぽど可哀相だ。私が好きになった人はいつだって、私を見てはくれなかった。彼女だけだ。彼女だけが、私を知っててくれる。心からの理解者だ。他はいらない。
私は花に抱きしめられながら、ゆっくりと休みました。
◇
大学に合格しました。
完全に奇跡でした。
「アナタがもっと真面目に授業を受けていれば、もう少しレベルの高い大学も目指せたんですけどね。自業自得というか。まあ第一希望でしたからね。おめでとうございます」
「先生もっと喜んで!?」
「喜んでますよ、これでも」
言葉でこそ反応は薄かったですが、発表日当日に電話をした先生は、1コールも鳴らさないうちに電話をとったので、たぶん合否結果を私と同じくらい心配してくれていたのだと思います。
「いままでありがとうございました。先生に教えてもらったフィボナッチ数列はいつまでも忘れません」
「人生において糞の役にも立ちませんけどね、それ」
「とりあえず、松ぼっくりをみつけるたび、フィボナッチ数列と先生を思い出すことは確かです」
「いやな関連ですねぇ~それ」
その日はなんやかんやと盛り上がり、夜遅くまで今までのことについて語り明かしました。
未成年である私に「どうせ飲んだことあるでしょう酒くらい」と日本酒を勧めてきた先生は、教員としてあるまじきことに、なんども私のコップに酒を注ぎ足しました。
「私を前後不覚にしてどうするつもりですか」
「べつに襲いやしませんよ、アナタみたいな小娘」
先生は酔っても変わらなかった。厭世家で、毒舌で、解釈が歪曲してて、美学を誇る。静かに話して、静かに笑う。
世界からこの空間だけ切り取られたみたいに、静寂な夜だった。
「日本一ではないにしても、そこそこ難関と言われる大学に現役合格するなんて、さすが私の教え子ですねえ」
それからゆっくりと酒を舐めて、日付が変わるという時間に、先生は言いました。
「もう私がアナタに教えることはありませんが、最後に、教訓として先生らしい言葉を残しましょう」
無駄な贅肉のない、洗礼された指先で机を叩く先生の仕草が好きだった。もう見れない。私は学校より先に塾を卒業する。
「アナタ、昔から顔だけは可愛かったせいか人に『ちょうだい』というの口癖でしょう。あれは直しなさい。物乞いを恥じなさい。欲しいものがあるなら、同等のものを差し出すか、働いて手に入れなさい。これは授業ではありません。アナタが不要だと感じたなら、忘れてくれて結構です」
静かな声で、視線を合わせないまま穏やかに告げた、先生の表情を覚えています。
あのとき私は、自分がどんな言葉を返したのかを覚えていません。
もっと意識して耳を傾ければよかった。いまでも思う。先生が何を考え、何を思い、何を託そうとしたのか、ちゃんと推し量ればよかった。
これが先生の、最期の授業でした。
◇
私が受かったのは、ゆいが「一緒に行こう」と望んでいた大学です。
どうして自分が苛められているかは分からないままでしたが、私はゆいが同じ大学を受験したことを知っていました。クラスで最下位に近い私が通過できたなら、ゆいも通過したはずです。
またゆいと一緒に四年間過ごせる。
嬉しくて堪りませんでした。
ゆいがいる。
私の未来にゆいがいる。
ゆいが。
結果発表の次の日、ゆいに呼び出されました。
「卒業式の日に死んでくれない?」
私はなにを言われたのかわからず、ゆいと久しぶりに話せた嬉しさから、笑ったまま固まったんだと思います。
「…しぬ?」
「そう、死んで。卒業式の日に。発狂したふりして叫んでさ、みんなのまえで喉切ってよ。母親と同じ死にかたしてよ」
「ゆい、あのさ、なんで怒ってるの?私ゆいになんかした?レズってなに?なんかバレたの?私何も言わないからさ」
「うざい」
ばっさり切り捨てて、ゆいは笑いました。
「私、おまえと受けようって言った大学、滑り止めだから。そっちには通わないよ。じゃあね。卒業式の日ちゃんと死ねよ」
どうやって家に帰ったのか、覚えていません。ただ携帯で何度も、どれほど深く首を切ったら死ねるのかということを調べていました。
どうして。
どうしてこれほど嫌われたんだろう?
きっと、ゆいじゃなかったら、私はここまで深く思い詰めなかった。
きっとゆいの言葉じゃなかったら、私は死のうと決心できなかった。
死ぬことは怖かったです。
でもそれ以上にゆいが望んでくれるなら、本望でした。
発狂したふりなんかできるかな。
私がじょうずに死んだら、ゆいは笑ってくれるかな。
◇
私が穏やかな気持ちで死を決心した数日後。
また、人が死にました。
「いいか、落ちついて聞けよ」
父が私に告げました。
先生が死んだ。
正直、先生の死は母親の死を聞いた以上の衝撃でした。震える声で、事故か、とだけ質問しました。父は短く
「自殺」
と答えました。
首を吊って死んだと聞きました。いつだったか、首吊りは一番エコな死に方だと、他人事のように語っていた先生の声が過ぎって、血の気が引きました。
私にとって先生は、死とは無縁の存在でした。
なにをどうしても結びつかない。接点なんか感じない。先生は自殺なんかするほど浅はかな人間じゃない。混乱を抱えたまま、私は家に閉じこもりました。
旅行に行かないかと、父に誘われたのは翌日でした。
疲れただろう、旅行しようか。大学も決まったことだし、時間もあるだろう。
私は父とふたり、ウィーンに行きました。
きいろ、あか、みどり、しろの箱が積み木みたいに重なった家に、まきつく新緑のツル。城のような旧市街、初めて訪れたオペラ座を聞きながら、私の世界はなんて小さいのだろうと思いました。
大学に行かなくてもいいよ。
父は言いました。
おまえはじょうずに息抜きができない子だから、なんでもこなそうと頑張ってしまう子だから。
オペレッタを観ながら、父は優しく口の端を持ち上げて、ぽんぽんと私の頭を撫でました。
いい子だね。
いい子だ。
おまえはとてもいい子だ。
嘘だ。私は良い子なんかじゃない。
私が本当に『いい子』なら、この世界に悪い子なんかいない。
死のう。
決意が固まりました。
もう疲れた。
◇
日本に帰ると、私宛に手紙が届いていました。
目が痛いほど真っ白い封筒に、達筆な字で、私の名前が書かれていました。
ああ、先生からの手紙だ。
宛名の文字を読んだだけでわかりました。
死んだ人からの手紙だ。
そこには3枚の手紙が入っていました。
1枚目は、先生らしい、長々とした雑談と、塾にある本は好きなものを持っていっていいという許可。
2枚目は、ミレニアム懸賞問題を解けなかった悔しさと、どの学問より数学は素晴らしいという謎の賞賛。
そして3枚目でようやく、私宛に考えたであろう言葉が書かれていました。
アナタは昔、自分は頭がおかしいかと、ぼくに聞いたことがありましたね。
あのときの返事をしようと思い、筆を執りました。
ああ、先生はこのために、手紙を書いてくれたのだと理解しました。
周囲の介入を徹底的に拒絶していた先生は、死ぬ最期の瞬間に、私のことを考えたんだ。
結論から言います。
アナタは正常です。
人として歩むべき道を間違えないアナタは狂ってなんかいません。小さい頃から可愛く、優秀で、私の自慢の生徒です。
家庭を持ちなさい。子を成して、育て、生涯を歩んでくれる伴侶をみつけなさい。アナタが大人になったとき、私のような人間はアナタに魅了されるでしょう。愛さなくていい。愛されなさい。
アナタは誇り高い。
なのに自虐的で劣等感がつよい。ゆっくりと直していきましょう。
卑屈さは顔に出ます。怠惰は身体に、知恵無しは会話に、驕りは態度に、冷たさは瞳に。
アナタは穏やかな人だ。穏やかで、臆病で、人の痛みがわかる子です。
その優しさは声に、心遣いは仕草に、賢さは沈黙に、察しは言葉選びに、
アナタを形成するすべては美しい。
自信を持ちなさい。
どんなに傷ついても、自分を好きだといい続けなさい。声に出して確かめなさい。
私に出会ってくれてありがとう。
死を目前に、残す言葉すら見つからない空虚な人間にならなくて良かった。
アナタがいてくれてよかった。
どうか素敵な女性に成長してください。
これが、手紙の内容でした。
自殺したにも関わらず、恨み言のひとつも残さず、いつもの雑談に励ましの言葉を添えた、シンプルな手紙でした。
私は泣きながら、何度も何度も手紙を読み返しました。
心臓が疼いて、息が苦しくなって、涙ばかりがでました。
死のう決めた意志が揺らいで、ただただ苦しい気持ちでいっぱいでした。
大好きな人が死ねという。
大好きな人が生きろという。
どうすればいいんだろう。
もしも生きるなら
私は人生はもう二度と、ゆいと交わることはないでしょう。
受けたことばの残酷さに打ちのめされながら、気が遠くなるような人生をじぶんの足で歩かなければいけない。
わたしが愛した人は呪われたように死んでった。唯一の理解者だと思えた彼女にさえ修復が望めないほどに突き放された。
これだけ大きい虚無感を抱えて、もう一度人を愛せる自信なんかない。もらうだけの人間になる。先生が「決してそうなるな」と戒めた人間になる。
それともいつか消えるのか。あと十年、二十年後になってこの日を振り返るとき、胸が塞がるようなこのしんどささえ、思い出とまとめて笑えるのだろうか。幼い日の傷心だったと、誰かに打ち明けることができるだろうか。
わからない。
このとき初めて過呼吸になりました。麻痺した感情がぐるぐる絡まるほど息が詰まり、指先が痺れて立っていられませんでした。
もっと平坦なところでいきたかった。
これだけ劇的なものなんていらなかった。
先生がそれを『隠せ』と言わなかったなら、180度違う人格の自分が、私の人生を生きただけだろう。
私はいつも笑いながら死にたいと願ってる。
Fin
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