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2024年になったのか
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正社員雇用の後は『多忙』の一言に尽きました。
アルバイトとはワケが違う。

完全成果主義。給料は己の実力に見合った額。自分で出したマイナスは半月以内に吸収する。失敗したら炎上商法に切り替える。

とくに桜木上司から「稼ぎたいなら一通りの仕事を回せるようになれ」との指示を受け、最初の1ヶ月は営業の人について回り、受注交渉と広告取りのノウハウを学びました。

うちは業界は一定の位置を築いている会社で、社名にブランド力があるのが救いでした。名刺を交換すると「おっ」という顔をされます。クライアントは一回りも二回りも上の人ばかりだったので軽く見られる場合もありましたが、大体は会社名がカバーしてくれました。


「あなた芸能に知り合いがいたわよね。春祭りの記念フェアで俳優の××使いたいから繋いで」

「冗談ですよね?」

「外と連動で構わないし、なんなら仕事取れるまで直行直帰でも構わないのよ。でも3日間帰ってこなかったら退職扱いにするから」

要約:営業もやれ。仕事もとれ。

「条件呑ませるのキツいなら自己判断でインセンティブ持たせていいわよ」

要約:自己責任だよ。

「××さんのほうが適任じゃ」

「彼いま刑務所よ。××からの指名が貴女」

「代理戦争じゃないですか!」

「頑張りどころね」

要約:結果第一


正社員雇用を舐めてました。ちょうど『社畜』という言葉がブレイクした時期でしたが、まさにこれかと思いました。会社の家畜。凡人と秀才と天才の違い。給料の差。法に触れても隠し切れ。

社会の歯車として回り始めた日々は、だけど、とても充実していました。





ゆいはいつも家で漫画を描いてました。あふれやまぬ才能を流し続けるように黙々と。

彼女は社会に適合しにくい子かもしれない。この頃になってようやく気がつきました。自由奔放に生きる事の代償。人にも社会にも囚われず己の心に従って毎日を生きている。


「ヒトコマに10行以上入れると読みづらいよ。文字読ませたいならフキダシを繋げるか削るかして書かないと」

「文字じゃなくて絵を褒めてよ。綺麗でしょ?」


ゆいは人の心を繊細に読み当てる。
トリッキーな構成と深い心理描写。人間を観察するゆいの視線は確かだった。資質だ。自分の世界を白紙に投影できる。ゆいの目に映る世界は愛で溢れていて、人は愛に翻弄される。

万人受けはしない選り好みされる世界観だけど、一部で熱烈的なファンがつくスタイルだ。


「ゆいの絵が上手いのは知ってるよ。才能あるんだから、ちゃんと読ませる漫画を書かないと。出版社に持ち込みはしないの?」

「漫画は息抜きなの。私は小説を売りたいから」

「だったら尚更、早くアプローチしたほうが」

「あなたが編集者として一人前になったら」


当たり前のようにさらりと言い放つ。


「私が小説家で、あなたが編集者。約束したでしょ?」


ゆいは他人に、恋と似ている感情をすり込ませる。彼女といっしょに居過ぎると距離感が狂う。

「はやくゆいを世界に送り出したい」
「うん。待ってる」

1人は1つの幸福しか掴めないと盲目に思い込んでいた、あの頃の私とはちがう。ゆいにとっての私は、幸せの一部であればいい。

飢えて奪いあう関係じゃなくて慈しみ与える関係に。彼女の糧に。何かを捨てろと詰め寄るような、手持ちすべてを晒して愛を乞う、そんな関係じゃなくて。

昔と同じ関係に戻ったら、また破綻する。

「そうだ。これあげるよ」
「なに?」
「パンドラ」
「ブレスレット?」
「似合うと思って」

ゆいは、尽くしたがるようになった。してもらうことよりしてあげることの喜びを、どこかで覚えてきた。誰かに教えてもらったんだろう。好きなものを愛でる時間の尊さを。

誰かがゆいの奥深くに入り込んだ。押し入るような強引さでも塗り替えるような激しさでもなく、彼女のなかに溶け込むように。誰かが。





夜型のゆいに付き合うたび、私は寝不足のまま出社しました。

「眠い。眠すぎる」
「会社休めば?」
「なんて言うのよ」
「美女と話してたら夜が明けました」
「殺される…」

私はゆいに理屈ではない感情を抱いている。ラクはそれを依存や錯覚と呼んだ。

なんでもいい。
私がやっと掴んだ幸せを、他人がどんな名前で呼ぼうとも。




あんな日々は二度とない。

幸せだった。幸せが飽和して、失くすときの衝撃を考えるほどに。一緒に暮らしている私が誰よりもゆいの傍にいる。頭ではわかってる。

だけど過去がある。
捨てられた過去が。
彼女はいつでも私を捨てられる。

そんな事実を一度、苦しいほどに思い知ってしまった。裏切られた過去を忘れないよう思い返しては、心の傷口を何度も抉る。傷が癒えれば忘れてしまう。あの不幸を忘れて全幅の信頼を寄せることが怖かった。

前向きに、彼女と共に生きていきたい。
だけど傷つきたくない。

無様な強迫観念。身の丈に合わない相手を好きになり、勝手に怯えて縋りつく。飛び続けなければ海に落ちる渡り鳥のように、自ら望んで決めた道なのに、その果てしなさに疲弊する。

毎日が穏やかで幸せだった。
なのに過呼吸が慢性化した。

夜はとくに駄目だった。壁を這う手の音がする。羽虫の屍骸が降る幻覚をみる。ふと見下ろした床に人影が映る。

怖かった。

私を恨み続けるだろうラクの存在が、若くして死んだ弟や花の無念が。見えない何かに追い詰められる。一番欲しかったものを手にした瞬間、捨ててきた過去に囚われた。


吸っても満たされない肺が苦しい。

心が苦しい。




「大丈夫?」



背中をさする手は優しくて、慈しむという表現が当てはまりました。ゆいが私に触れるたび頭を撫でる母の手を思い出す。こういうとき私がゆいに求めるものを垣間見る。

「愛より深い感情ってあるのかな?」
「情じゃない?」

ゆいは私を愛してない。彼女が私を傍に置くのは贖罪だ。本人に直接聞いたわけじゃないけど、確信があった。

「そばにいて」
「そばにいるじゃん」

もっと。
ゆいが私に与えるものだけで生きていきたい。満たされたい。貴女に。

「どうして私たちは血が繋がってないんだろう」

血統が何より重視されるあの町で、もしも私たちが姉妹だったら生きてゆけた。それはとても素敵なことだ。おとぎ話みたいな空想を話したつもりだった。なのにゆいは不機嫌になる。

「血の繋がりがないと信じられない?」

そうじゃない。
そうじゃないのに言葉が見つからない。

「すきだよ」
「知ってる」
「もっとわかって」
「わかんないよ」

わかってよ。あの頃みたいに。
ふたりでひとつの生き物みたいに何でも共有しあった、あのときみたいに。

「私の事もっと頼って」

記憶が巻き戻される。絶望的に絡み合った心の糸を、きれいに解いてみせたのがゆいだった。

「あなたは、」

ベットの中で抱きしめあう。私たちは身長も体重もほとんど同じで、まるで自分を抱きしめてるみたいだった。

「あなたはたぶん、家族がほしいんだよ」

夜は怖い。けど好きだった。上下も左右も見えないこの暗闇で、ふたりで薄い毛布に包まる。朝が来なければ幸せな夢は永遠になる。いまここで死にたい。



夢をみた。
チャイムの音が鳴り響く。あの頃の夢。

メールのフォルダをゆいだけ分けて、何度も新着メールの問い合わせをした、一人の夜。廊下や階段の貼り紙、グラウンドの木蔭、部活に励む生徒の声。鍵はなんでも交換した。ロッカーも、自転車も、部屋も、宝箱も、ゆいが開けられない扉はない。貴女の知らない秘密はない。わたしのすべてをあげた女の子。

『ふたりだけで生きたい』

あのころ望んだすべてがここにある。
なのに心は空虚だった。

私はまだ、18の春を卒業していない。





私たちはずっと2人だったわけじゃない。
3人のときも10人のときもある。

傷を抱えた人ほど、不思議とゆいの傍に集まった。

根っから同性しか愛せない子、ホストに嵌ってしまった子、父親が自殺した子、頭が弱くて人を苛立たせてしまう子、学校に馴染めない子、浮気を繰り返してしまう子。一癖も二癖もある女の子たちは光に集まる羽虫のようだった。

「家に帰りたくない」
「じゃあ、うちに住む?」

平気でそんな事を言う。私がいるのに。

「ゆいちゃん彼氏いないの?」
「彼氏はいないけど恋人はいるよ」
「同性愛者?」
「わかんない」

ゆいが私と同居してるのは周知の事実だ。自分に集まる視線に気づかないふりをしながら、関係を隠さない堂々としたゆいの態度に満足する。

「あなたとゆいは、いつから付き合ってるの」
「…高校、だと思う」
「いいなあ」

通いのクラブにゆい専用の取り巻きができるまで、一ヶ月もかかりませんでした。

ゆいは、あらゆる人間を片っ端からたらしこむプロだ。分け隔てなく優しい彼女にみんな傾倒していく。憧れから執着に。まるで人間麻薬だ。やさしくて強い。そして誰もが認める美人。こう在りたいと思う女性像を体現したような完璧な女の子。

「ゆいさんのこと、好きだなあ」

愛される努力ができない女ほど愛されたがるのは何故だろう。私とゆいは唯一無二だ。水や空気のように求め合う。そんな私達の間に入り込もうとする人間も少なくなかった。

ゆいを盗られる。

「ハコ変えようよ。強いお酒が飲みたい」




ゆいにハマッた人間は片っ端からホテルに誘った。
「可愛い」なんて死ぬほど吐いた。リスカを重ねたぼろぼろの肌に口付けて、理性が無いのかと疑うほど肥えた豚女に微笑んで。
都会の片隅。10階のホテルで朝を迎える。

「あなたの事が好き」

何人、ゆいから私へ乗り換えたか。体から始めた関係に心が伴うのは何故だろう。すでに特定の人と濃密な関係を築いてる私を好きになる気持ちがわからない。

「ごめんね」

しらけた心で突き放す。
手に入らない寂しさを他のもので埋めるならまだしも、代理のものを使用しすぎて本物だと思い込む。恋は取り替えの効く感情じゃないと知らない幸せなおんなのこたち。







「私に告白するとアナタと寝れるっていうウワサがあるんだけど、知ってる?」

ゆいの顔色を窺うことは習慣だった。だから私はゆいの不機嫌に敏感だ。

「だれが言ってたの?」
「答えてよ」

戯れるように流しながら言い訳を考える。私の行動はすべてゆいに繋がる為だけど、そんなこと知らないゆいから見ればただの浮気だ。

「ゆいが」

目を伏せる。

「誰かに盗られるかもしれないって、不安で」
「だから浮気するの?当てつけ?」
「ちがう」
「なにが違うの?」

怒ったときほど口数が減る。ゆいには昔からそういう癖がある。不幸を嘆くことは惨めだと黙り込み、泣きもせずひたすら堪える。

「…もういいや」

彼女がこんな風に、静かに笑うようになったのはいつからだろう。猫のように擦り寄ってきた体を抱きしめる。言葉が足りないときに、肌で慰めあうのは楽だった。

諦めたほうが楽だった。

成長と共に変わっていった関係に二人して戸惑ってる。そんな空気だった。出会った頃は隠し事なんてしなかった。ゆいだって気に障ればすぐに怒った。いまは二人とも曖昧に微笑むだけ。

「昨日遊んだ子なんか、今すぐ忘れて」

ゆいが時折みせる、触れた場所から壊れそうな脆さ。それが怖くて私は常に細心の注意を払ってた。あの頃の私はそういう機微に目敏かったから傍にいられたのだろう。今の私にはゆいの弱さがどこにあるのか探し当てられない。

ゆいがわからない。




たぶんこの頃からだった。
ゆいは『新しい事』に執着し始めた。

私が着て出かけた服と下着をすべて処分させる。人から教わったレシピの料理に口をつけない。別の誰かと行った旅行先を嫌がる。

新しいものを着て。振舞ったことない料理を作って。まだ知らない場所へ出かけよう。


「だれにもしたことないことして」


病的だった。
たぶん、お互いに。

表情や仕草や言葉に含みがある。この言葉にも意味がある。察して理解しなくちゃ。理解して共感しなきゃ。

嘘が重なる。
本当は何も見えない。

世界で一番安心できた彼女の隣が息苦しい。



恋はどうして難しいのだろう。同じ気持ちと同じ分量、同じ色でなければ衝突しあう。すべてが一致する心なんて見たことがない。

わたしは何かになりたかった。
彼女にとっての何かに。
取り替えることのできない何者かに。

唯一に。





三度目の絶望が迎えに来た。
あの夜も冬だった。

食事を済ませた深夜。小さいケーキを2人でつまんだ。私がコーヒーを2人分用意して腰かけたとき、ゆいは「飲めない」と断った。静かな声が不穏だった。乾燥機が音を立てている。なのにゆいの息遣いが聞こえる。幻聴。

こういうときの予兆は、一体なんなのだろう。



「子供ができた」



この話を聞く1分前に死んでおけば良かった。



「誰の子供?」
「今付き合ってる人」

耳鳴りがした。ガザガザとしきりに鳴り続ける、乾いた花束を踏み散らかすような音。しばらく虚ろに部屋を眺めながら、ああ幻聴かと気がついて笑う。
笑うしかなかった。

「ゆい、付き合ってる人がいたの?」
「うん」
「私は?」

可愛いお人形のように小首を傾ける。

「もうひとりの自分って感じ」

ゆいは無邪気に、無邪気に言う。

「彼にはHIVのこと話してないんだ。だから産んでも結婚はしない」

頭の中で何かが弾けた。

「一緒に育ててよ」




私はゆいの歪みを愛してた。人格形成の過程で欠損が生じた彼女の孤独に共鳴した。生きるために求め合った。お互いを「もうひとりの自分」と呼ぶことが究極の結論だった。

あまりにも近づきすぎて、気づかなかった。私たちは別々の生き物であるということを。私はゆいで、ゆいは私だった。

ああ、だからか。
いつも、ひとりで生きてる気がした。

こんなに強烈に、切実に、彼女だけを求めているのに。




無意識に立ち上がっていた。
最初は、なんだったか。たぶんカップを投げた。腕を掴む。雑草を引っこ抜くように乱暴に立たせて頬を打つ。倒れたゆいの体を押さえつけた。母体だなんて信じられないくらい細い。打った頬が赤く染まった。

目を細めたゆいが私をみあげた。
笑ってる。
私も笑った。

「私になにか言うことは?」
「暴力は人格障害だよ」
「私が教えた言葉だね」

懐かしい。暴力を振るう人間は自制心が弱いと、分かったような口をきいて彼女を慰めた。
白い肌に青痣をつけて登校してくるゆいを、高校生の私は心から心配してた。彼女の傷口をみて泣いたこともある。彼女が受ける理不尽な暴行が許せなかった。

「叩かれるの、慣れてるでしょ?」

ゆいの表情が凍りついた。刺した、という手応え。やっと顔色を変えたゆいの頬を撫でて、顔を動かせないように固定する。仄暗い悦びを感じた。

大丈夫。ゆいは慣れてる。
親に殴られて育った子供だ。

「ゆいは奇麗すぎるよ」

銀行員だと聞いていたゆいの母親が、本当は元風俗嬢だと聞かされたとき妙に納得した。ゆいが醸しだす絶妙な色香は、かすかにその手の商売を連想させる。彼女は哀しいほど母に似ていた。客と結婚して幸せを掴んだ母親をゆいは心底軽蔑してた。

「痛いけど我慢して」

障害を与えよう。
これ以上だれも惹きつけないように。

テーブルに飾ってあった香水を掴んで、ゆいの左目に叩きつけた。悲鳴が聞こえる。角度を変えてもう一度殴りつけた。ゆいが私の腕を思い切り引っ掻く。鼻を折らないように気をつけながら殴りつけた。


幻聴をきいた。学校のチャイムの音だ。どうしてだろう。心が荒むたびあの風景が蘇る。


悪夢だ。




いっそすべてが嘘ならよかった。
産まれたことさえ夢ならば。

ゆいがもし本当に一欠けらもわたしを愛していなかったら、わたしは心置きなく彼女を憎めた。あなたの心すべてが計算なら、取り繕われた美しさなら、嘘で作られた優しさなら。

母が死んだとき、先生がいた。ゆいに見放されたとき花が、心が不安定なときアキラくんが、先生が死んだとき父が、すべての繋がりを絶ったときY管理人が、震災で故郷を失ったときにはラクが。

世界はいつも気紛れにわたしを救う。
首の皮一枚、繋いで生きてきた。

どこかで死んどけばよかった。
チャンスはいくらでもあった筈だ。




「結婚しようよ」

救急車を呼ばなきゃ、と立ち上がったときだった。倒れたままのゆいが言った。泣いている。助けを呼ぶような小さい声。携帯を片手に持ったまま途方に暮れた。ゆいは掠れた声で続ける。

「海外に、いこうよ。ふたりで、ちゃんと幸せに」

声が途切れる。殺してしまったかと一瞬本気で思った。ややって、ゆいがしゃくりあげた。とても耳障りな発作的な泣き方で。

「しあわせに、なりたいよ…。もう、殴られるのはいやだよぉ…」

しんどい。しにたい。
震える体を自分で抱きしめて、小さく丸まって泣き出したゆいをみて立ち尽くした。拙い言葉で気持ちを伝え合ったあの頃より、語彙も知識も増えたのに、伝える言葉が見つからない。

「ゆい」

一番に信頼する人の名を呼ぶ。
彼女との恋を手放すことは、自分への裏切りのように感じていた。自分の人生から彼女を切り離してはいけないという思い込み。自負。幻想。

これを聞いたら、関係が終わる気がした。


「ゆいは私の、なにが好き?」


どうして上手くいかないんだろう。何が悪いのか検討もつかない。正解を導く理性すら残ってない。ゆいは私の何が良いというんだろう。
泣き声を滲ませた声でゆいが答えた。愛を知らずに育った子供が泣きながら笑う。

「やさしいところ」






もうだめだ、と本能で理解した。
私たちはもう一緒には居られない。これ以上傍にいたら死んでしまう。わたしもゆいも命を惜しまない。2人しかいない世界で傷つけ合って、お互いを壊してしまう。

好きなのか憎いのかすらわからない。





最悪の朝だった。
ゆいは自力で病院にいき、私はその日に会社を辞めた。

退職交渉すら行わず、朝一で退職届を持ってきた私はすぐさま別室に呼ばれて事情を聞かれた。桜木上司、部長、人事、社長。思い直せ。長期休暇を取ったらどうか。きみは色々ありすぎて疲れてるんだ。

「恋人に障害を負わせる暴力を振るいました。きっと前科がつきます」

ゆいがどう立ち回るかわからない。だけど最悪のケースは考えておくべきだ。冷静に考えてみれば殺してもおかしくない状態だった。それほどの高揚と殺意があった。

「長い付き合いなのか?」
「高校時代からです」

烈火の如くキレると思ってた社長がいちばん淡々としていた。長椅子に腰かけたまま圧力をかけるように声を低める。

「向こうも震災も直撃か」

「両方を亡くしました」

「置かれた場所で咲きなさい、という言葉を知ってるか」

思わず顔を顰めた。社長は片手をあげて、いや、と言葉を濁した後に続けた。

「おまえに関しては不幸が多すぎる。この言葉は酷だな。だけど腐らずに、聞け」

虚ろな目をしていたと思う。そんな私に活を入れるように社長は声を張り上げた。

「半年だ。半年で復活しろ。この業界は厳しい。就職して3年持たない若い奴なんか、どの会社も取らない。おれの知り合いに当てがある。事情を説明して繋いでやる」

「…でも」

「ごたごた言わずに更生しろ!!!」

鼓膜を破る勢いで社長が叫ぶ。

「死ぬなよ!!!」

その一言に、心臓を鷲掴まれた。
ぎゅうぅっと喉の奥が鳴って、頭が真っ白になる。肩をばしばし叩かれて息が詰まる。

「死にません…」
「当たり前だ、馬鹿」


人と関わるとき、深く関わらないという前提があった。寂しさを打ち明けることも苦しみを吐き出すこともしなかった。他人を知ることも求めることも怠っていた。

ああ、私は怠っていたんだ。
人と向き合うことを。
自堕落でくだらない執着を、ただひたすらに育んだ。





昨日の事のように思い出す景色がある。

遠い日の海に、チャイムの音が鳴り響く。
おおきな学び舎でゆいと出会って、彼女が私のすべてになった。

潮の香り。突き抜けるような晴天。漁船に群がるウミネコ。何回転校したのだったか。環境が安定して高校に入学した年の春。ペアを組んだバトミントン。変な折り方の手紙。かわいいと言われ続けたあの頃。

あなたが好んで着ていたカーディガンの色、あなたが好きだと言って私に覚えこませた冬の歌、いつかフランス人の子を産みたいと言って私を嫉妬させたあの言葉。あなたが私の唯一で、私があなたの唯一だった、あの頃。

戻りたい。
高校時代に戻りたい。
あの頃ははやく大人になりたいと、あれほど願った癖に。

だけど何度人生をやり直せても、私は同じ道を行くのだろう。どんなに自分の世界を押し広げても、私はきっと、出会ったすべての人の中からゆいを選ぶ。



もう、全部、ぜんぶが過去だ。
とおく、遠くに来た。


別れの時が来た。



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