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2024年になったのか
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謹賀新年!!(※2月)



このネタは前もやったな。(2017年2月3日参照)

あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします!手術成功しました!死んでません!拍手ありがとうございます!現在はインフルエンザです!近況を巻きで済ませてすみません!


こんな辺境の地にはるばる足を運んでくださる皆々様に感謝をしつつ、2016年の春から溜め込んでるコメントと拍手に返信してもいいですか…?(小声)









言い訳ですが、いつか返そういつか返そうと心に固い決意を秘めつつ目まぐるしい毎日にもまれ、春が過ぎ夏が終わり秋が巡り冬を超え…を3回やったら2019年でした。
光陰矢の如しですね!


これ完全に私が悪いんですけど日記&返信を分けてないため、お返事した範囲をド忘れしてる事もあり、もしかすると以前返信した内容に再度返信を重ねて最悪以前とは真逆の発言をする可能性が無きにしも非ずです。寛容な心で察してください。

(昔)ラギさん何色好き?「ピンク!」
(今)ラギさん何色好き?「色という概念に興味がない」
ヤバいやん…


拍手は送った内容を記録できないので内容をお忘れの方もいらっしゃるかと思います。
以下は薄文字にて、お確かめください。










【拍手より】

ひなさん(2018年9月29日20時17分)
ラギさん、はじめまして。私は「僕達は100回死んだ」でラギさんの物語に魅せられたものです:: ( › - ‹ ) ::久しぶりに読みたいなぁと思って検索かけるも見つからず消えていることを知り、ようやくたどり着いたこのサイト様でたくさんの事実をしって今とても困惑しています。現在はいかがお過ごしでしょうか?物語が読みたいという気持ちはもちろんですが、それ以上にラギさんがお元気かどうかがどうしても気になりコメントさせていただきました。またの更新をお待ちしています…!!


はじめまして。
この度はコメントをありがとうございます。懐かしいタイトルを読んで心が和みました。池袋ラギの小説を読んで頂き、本当にありがとうございました。未完で終わらせてしまったこと、および、突然pixivを退会致しました事につきまして、本当にすみません。

pixivで活動していた期間が2012年~2016年という長いのか短いのか判断しかねる期間でしたが、あの期間中、ひなさんの目に私の小説が留まったこと、探して頂けるほどに印象に残っていたこと、私の身を案じ言葉を掛けてもらえたこと、たくさんの事を嬉しく思います。

現在は手術を終え、最近ハマりましたコスプレ活動に勤しみつつ、体調を崩した結果のインフルエンザです。持病とは長い付き合いなので、騙しだまし付き合う方法も心得ており、転移した病のすべてを「飼い慣らした病気ども」として奴隷を並べる女王の如く上から目線で交際を続けております。私は元気です。ひなさんも体調等にはお気をつけください。ここも定期的に更新する予定なので、よかったらまた遊びにいらしてくれると嬉しいです。




(2018年9月29日20時17分)
はじめまして。pixivからラギさんを追いかけてこっそりとこちらのページをのぞいていた者です。ご病気の方に顔も知らない人間から何を伝えることができるのかと考えても、ラギさんのように上手く書くことはできそうもないです。ネットがなかった頃は(私は結構いいトシです)人の死というのは自分とは縁遠いもので、身内や知人、有名人の死しか自分の記憶には残りませんでした。顔も知らない人が書いた闘病日記が発行されて有名になってしまうほど、人間が最後に思う何かにみんなが興味があったということでしょうかね。あれっ、えー、何が言いたいのかというと、ラギさんにとっては迷惑で気持ちの良いことではないかもしれませんが、私にとってラギさんはもう勝手に知人のくくりに入っているので、刹那的に生き方が若者らしくていいなと思いはしますが、できれば長生きして、この先は四十肩で悩んだり、老眼鏡を気合いを入れて選んでほしいんです。そんなラギさんの生活をこれからも垣間見られれば私はうれしいです。私のわがままを押し付けることはできませんが、どうか、どうか……。ラギさんが笑っていられる日々がこれからもありますようにとだけ願わせてください。自愛ください。


はじめまして。この度は拍手からのコメントをありがとうございます。言葉の端々から感じる優しさやお心遣いに胸が熱くなりました。「老眼鏡を気合を入れて選んで」って表現すごく素敵ですね。ブログに書いてる事は赤裸々で、ここを読んでくださる方々には、私も深い親しみを覚えます。本当に恐れ多い事です。

私が触れてきた死の数はそのまま親しい人の命の数なので、昔から死に対する恐怖は薄かったように思います。
親しい存在が経験したことが安心感に変わるように、親が口に含んで飲み込んだものを子が安心して食べれるように、親しい人が死んだなら私も大丈夫という謎の安心感がありました。小さい頃は。
愛することを学び、愛される尊さを知り、少しずつ少しずつ生きることへ執着を増やして今に至ります。

「みんな人間が最後に思う何かに興味がある」って真理ですよね。私もそう思います。

人は人を想うのだと思います。
お金や仕事や己じゃなく、誰かを。

昔、自殺した恩師が私に宛てた手紙で「死を目前に残す言葉が見つからない空虚な人間にならなくてよかった。あなたがいてくれてよかった」と書かれていました。学生の頃は分からなかった言葉の意味が、10年経った今は分かるんです。
人生は一人一個で、その一個を使って誰かと出会うんだなって。心は人を介して育つのだと、育った心は新しい誰かの心を育てるのだと。だから最期に人を想うのかもしれません。

柔らかく思いやりのあるお言葉の数々、とても胸に響きました。
どうかまた遊びにいらしてください。




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拍手[7回]

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