2024年になったのか
【美月と彩未】
私にはじめて彼氏ができた春、あやみちゃんの両親が事故で死んだ夏、私の誕生日を祝った秋、あやみちゃんが大学に受かった冬。私たちは花火をした。だから迷わなかった。
『花火する?』
電話越しであるあやみちゃんの表情がみえない。もしかしたら断られるかも。徐々に不安になってきたとき、黙り込んでいたあやみちゃんは静かな声で「そうだな」と言った。
『外は危ないから屋上でやるか』
続いた声に同意した。
携帯をみれば、久しぶりに昔の彼氏からメールが届いていた。同い年の男の子だ。名前と顔は覚えてるが声を忘れた。人が人を忘れる順番は声・顔・思い出だというのは本当らしい。
短い文章だった。
『あれからたくさんの人と付き合ったけど、美月のことがいちばん好きだった。さよなら』
春に付き合った人で、肌を重ねたのは夏。声が漏れないように閉めきった窓の外で、セミが鳴いていたのを覚えてる。彼は他の子と経験がある人で、私は処女だった。行為は痛みは伴わず、彼は丁寧に私を抱いてくれた。
少し考えて、返信する。
『ありがとう。さよなら』
彼とは冬に別れた。明確な理由はない。喧嘩も不満もなかった。ついでに言うなら愛もなかった。それが原因なのだろう。いまならわかる。私を少女から女性に変えてくれた元彼は、諦めるように私の髪を撫でて、別れよう、と呟いた。
あの日もあやみちゃんと一緒だった。
彼と別れた夜、私はあやみちゃんの部屋を訪れた。ジャージ姿で出迎えた寝起きの幼馴染に「彼氏と別れた」と告げれば、あやみちゃんは欠伸をしながら「ふうん」と流した。そして興味なさそうな顔で「花火する?」と聞いた。
『ホラ、おまえがソイツと付き合った日も花火したじゃん。別れた日もやっとけばさ、ちょっと締めくくった感ない?』
その理屈は理解できなかったが、私はこくりと頷いた。
それから花火は習慣化した。
22時。
どこにいるんだと聞かれ「公園のベンチ」と答えた私を鬼のように叱りつけたあやみちゃんは、なんと車で迎えにきた。私が知る限り彼は無免許だ。
彼は世界の寒気を恨むような眼差しで近づいてきた。
「おまえなんで制服?」
「高校に行くんでしょ」
「スカート寒くね?」
「ちょうさむい」
「ホントおまえ馬鹿」
屈指の名門大学に現役合格した頭のいい幼馴染は、短く舌打ちしながら私に上着をかぶせた。ポケットにわずかな重みを感じて確認すると小型のスタンガンとバタフライナイフが入っていた。
「あやみちゃん、どっちか使う?」
「どっちも持ってろ」
あやみちゃんは私を車まで案内した。ワインレッドの広い車。座ったクッションが深く沈んだ。
「オレさっき人殺したんだよね」
車をどこで手に入れたんだと問う間もなく、あやみちゃんが爆弾発言をする。その声があまりにも穏やかだったので危うく流すところだった。シートベルトを装着しながら運転席に座る幼馴染をみる。
「どうして殺したの?」
「轢いた」
車が出発する。
ここへ向かう途中に2人の人間を跳ねたという。曰く「裸で女を追い回してたやつと、死体の山の中心で高笑いしてたアホ」を轢いたらしい。
あやみちゃんは絵本を読み聞かせるような平静な声で罪を語った。人選がどう考えても意図的だ。轢いてもいいと判断した上でペダルを緩めなかったのだろう。
車がみるみるうちにスピードがあがっていく。これは事故ったら即死だ。
「この車すげえ乗り心地いいわ」
幼馴染は怖いほど普通に笑った。
罪の意識など空き缶を捨てた程度のものなのだ。そういう人だ。国が定めた法より己の感覚で物事を測る。
あやみちゃんの横顔をみる。耳にピアスが嵌められている。真ん中にルビーが嵌めこまれた十字架のピアスだ。誕生石なんて関係なくあやみちゃんは赤を好む。不思議な人だ。いまもむかしも。
「あやみちゃんさ」
「あー?」
「私が電話したときどこにいた?」
「大学。おまえは」
「お家」
あやみちゃんと私は幼馴染だ。私達は海が見える町で出会った。近くの家に住んでいた1つ上のお兄さん。幼稚園から高校まで一緒だったあやみちゃんと私は、私が引っ越したあとも定期的に連絡をとっていて、18年間ほぼずっと一緒にいる。
つきあってるの? と何度も冷やかされては首を横に振った。肯定も否定もしないタチの悪いあやみちゃんは去年、一足先に高校を先に卒業した。
「なんて言って外出許可もらったんだよ」
「なにも言ってない。反対されるし」
「馬っ鹿だねーおまえ」
歌うようにあやみちゃんが言う。
「じゃあ家族に挨拶してねぇの?」
「ううん。おねーちゃんだけは『さよなら』って、お別れした」
「へぇ。…優月オレになんか言ってた?」
「妹を誑かしやがってゲス野郎」
「うわ」
「地獄に堕ちろ」
「うわあぁ」
役に立たない信号機を無視して、車は軽やかに道路を駆け抜ける。
「死んだら優月に謝んねえと」
あやみちゃんは愉快そうに目を細めた。やけに機嫌が良い。備えつけのラジオに手を伸ばしつつ「楽しそうだね」と聞けば「わかる?」と返された。
「これだから庶民は」
《臨時ニュースをお伝えします。》
ラジオが流れる。
「これだれの車?」
「大学教授。強奪した」
《…なお、悪質な行為を働いた者については、容赦なく殺害します。》
タイミングの良い言葉をきいて同時に笑った。
「殺害されるよあやみちゃん」
「窃盗は軽犯罪だろ。割に合わねえよ」
こんな事態に見舞われても秩序を守ろうとする日本人の精神は偉大だ。呂律の回らないアナウンサーがどもったまま話を押し進めるのを、あやみちゃんが「聞き苦しい」と言うまで聴いていた。
どのラジオ局も臨時ニュースか子守唄しか流していない。つまらないのでラジオは消した。
「携帯ってまだ生きてるかな?」
「なんで?」
「ツイッター。友達の安否確認」
「いま安否確認できたところで」
ふっとあやみちゃんが視線を流した。
20階建てのマンション。10階辺りに人がいた。嫌な予感がする。
「一分後には死んでるかもな」
その言葉がトリガーだったかのように人が飛んだ。ベランダから。落ちたのではない。あれは間違いなく意思を持って飛び降りた。
「う…」
あやみちゃんが視線を前に戻した。80キロで飛ばしていた車が40キロまでスピードダウンする。
あやみちゃんは嫌味っぽい流し目で私をみた。
「死体見にいく?」
「ぜったいイヤ!!」
「まだ友達の生存確認する?」
瞬間的な生存確認など無意味なのかもしれない。
あやみちゃんは薄く笑ってさらに速度を落として、死体が落下した地点を迂回した。
「せっかく携帯持ってきたのに」
「捨てれば?」
横の窓が開いた。
困惑する私を横目に、あやみちゃんはしれっとした声で続ける。
「持っててもしょうがねえじゃん。捨てろよ」
あやみちゃんはいつもそうだ。
1か0かですべてを計る。
けっきょく携帯は窓から投げ捨てた。
2年使ったスマホは、猛スピードで移り変わる風景の一部と化した。普通に過ごしてた頃は1日だって手放せなかったのに、捨てた瞬間なにかが吹っ切れたように気が楽になった。なんだか無性に楽しくなってきた。
「自由っていいね」
「そうだな」
人は人に囚われる。
体でも時間でもなく、精神を縛られている。
携帯には500人の友達が登録されていたが、いまの私は30人思い出すのがやっとだ。人の繋がりなんてこんなもの。
「あ」
「ん?」
「美月、掴まってろ」
「え?」
「揺れるぞ」
「は、うわああああ!?」
ガクンッ、とブレーキが踏まれた瞬間、あやみちゃんはハンドルを大きく回した。
大きな蛇行と揺れと衝撃。車が一回転と半周した。残像を残して視界が回る。タイヤとコンクリートが激しく摩擦を起こして断末魔のような音が鳴った。
「…あっぶねー。ぶつけるとこだった」
あやみちゃんは初運転でありながら、タクシーを捕まえるように片手をあげて車道に飛び出してきた男を避けるというパフォーマンスをしてみせた。
シートベルトがここぞとばかりに大活躍して事無きを得たが、心臓が体内で一回転したように吐き気がした。
「みつきちゃーん、生きてる?」
「…脳みそ揺れたんですけど」
「ウケる」
ウケない。
「なんで避けたの」
「人は殺しちゃいけませんって法律知らない?」
「言ってることめちゃくちゃだよぉ…」
圧迫された胸をさすりながら顔をしかめる。冗談にならないほど気持ちが悪くなってきた。
とくに内臓への負担が厳しい。
「やば、吐きそう」
「おー、吐け吐け。どうせ乗り捨てるし」
「服が汚れちゃうじゃん」
「後部座席に出せば?」
悪魔のようにケラケラ笑いながら嘔吐を推奨する幼馴染の誘惑になんとか耐え切った私は、車が停車すると同時に速攻外に飛び出した。しゃがみ込んで地面を睨みつける。脳がうわんうわんしている。気持ち悪い。
「おい」
砂利を踏む足がみえた。
顔をあげず足をみる。
「…私は二度と…車に乗らない」
「二度と乗れないから安心しろ」
「石になりたい」
「おーおー。蹴飛ばしたらどんだけ飛ぶかな?」
げしっ、と左腕を蹴られた、最低だ。なんて横暴なんだろう。ころんと後ろに転んだ私をみて笑うあやみちゃんは地獄に落ちたほうがいい。
「地面が冷たい」
「虚弱だな」
「幼馴染も冷たい」
「メンタル弱すぎ」
地面は固くてぶつけた尻が痛かった。
手を差し出してくれる優しさなど欠片もない幼馴染の性格は重々理解していたので、私は自力で立ち上がった。足と手についた土を払うと、あやみちゃんの視線が上下した。私の頭から爪先までをじっとみる。その不躾な視線にたじろいだ。
「な、なに」
「お前体重何キロ?」
「あやみちゃんってぜったい情緒に欠落あるよ…」
「60キロ以下?」
「私のどこに60キロの要素が!?」
両腕を広げて訴えれば、いつの間にか金属バットを持っていたあやみちゃんが、それを強引に手渡してきた。驚いて両手で受け止める。
「え? なに、」
「それ持ってろ」
あやみちゃんが視界から消える。屈みこんだのだ。そのまま自然な動作で腕が背中とふとももに回されてぎょっとする。
「ちょっ」
「るせ、舌噛むぞ」
ふわっと足が地面から離れた。なんの説明もしないまま高く抱き上げられて動揺する。
あやみちゃんの体温と匂いに脈が跳ねた。
「落ちんなよ」
ふとももを掴むあやみ先輩の指が肌に食い込んでぎゅっと目をつむった。心臓のざわめきを隠すようにくちをひらく。
「まってまって、こわ…高い揺れる危ない!」
「おまえが暴れなきゃ落とさねーよ」
ふとももの内側に食い込んだ親指に意識が持ってかれそうになるのを必死に堪え、心臓の高鳴りをなんとかやり過ごそうと意識を逸らした。
とにかく混乱を極めていた。
こんな、猫を抱っこするような色気のない作業でも、異性に肌を触られるのは緊張する。
きっと最後だ。
人生においてこれが、他人との最後の接触だ。
あやみちゃんは米俵を担ぐように私を担ぎ、閉ざされた校門をひょいっと飛び越えて着地した。10秒にも満たなかったと思う。びっくりするほど身軽な人。
「はーいおつかれさーん」
地獄の時間は過ぎ去った。
着地する振動で滑った指が尻と足の関節あたりに触れた瞬間、死ぬかとおもった。声をあげなかった自分を褒めてやりたい。
労るようにポンと肩を叩かれる。
「おまえ意外と軽かった」
「そんな感想いらないよ!」
「ソーネごめんねバッド貸して?」
このやろう。地面に降ろされた私はしぶしぶバットを手渡した。
真っ暗で先の見えない道を堂々と闊歩するあやみちゃんはマジで無敵だ。本物の怖いもの知らず。清閑としたグランドを見渡しながら、あやみちゃんに駆け寄った。
「昇降口は開いてないよ」
「なんで律儀にドアから入るんだよ」
割ろうぜ。
そう言って部屋の窓に近づいた。
室内を覗き込み、周囲を軽く確認したあと、バットを窓と垂直に立てる。
「ちょっと離れてろ」
パンッ、と乾いた音がした。
窓が割れた。一点を鋭く突くように割られたガラスの被害はおそらく最小限で、あやみちゃんはバットを投げ捨て内側の鍵を開錠して窓をひらいた。
「バッド捨てるの?」
「なに。バッティングでもする?」
「いや、しないけど」
足元に散らばるガラスに注意しながら中に侵入する。保健室だった。消毒液のにおいが鼻に突く。
「保健室だ」
「おれ高校生活で一度も来たことない」
「ここ寒いね」
「スカートなんか穿いてくるから」
「まだそこ責める…」
私達は羽毛の毛布を一枚と、保健室で手に入れた屋上の鍵を持って階段を登った。ふたりぶんの足音がコツコツ響く。土足のまま廊下を歩くことにいささか罪悪感を覚えつつ、今日ぐらい構わないだろうと開き直った気分にもなる。
「おっ」
3階の階段前で立ち止まったあやみちゃんは、ふっと視線を廊下に向けた。
3年生の教室がズラッと並んだ奥の奥など暗くてみえるはずもない。しかし、廊下の奥をひたと見据えた幼馴染は「なあ」と声を潜めた。
「6組お前のクラスだよな。寄ってく?」
「何しに」
「学校に愛着ねぇの」
「…いや、とくに」
「もう来れねえぞ?」
たしかに。
畳み掛けるように言われて少し考える。
しかし答えは同じだった。
「んー…大丈夫でかなぁ」
まっさらなキャンパスのように、清々しいほど未練も執着も感じなかった。
あやみちゃんはちらりと私をみたあと「そうか」と頷いて歩き始めた。もしかすると彼なりの気遣いだったのかもしれない。
3年間お世話になった学校の見納めにしては、淡々としている自覚がある。
「あやみちゃんは?」
「んー?」
「どっか思い出の場所とかないの?」
「ないね」
賢くて自信家で自分史に囚われないあやみちゃんはきっと、世界にだって未練はない。彼は衣食住すべてに興味がない。それは生きることに執着がないのと同義だ。
それから私達は無言で階段を登り、屋上の扉は壊すことなく鍵であけた。
「風つええ~!」
「屋上だからねえ!」
スカートを手で押さえながら叫ぶように喋る。
「お、なんかあっち燃えてね?」
「うそ、どこ?」
「西の方。あーあ、消防車も出動しないのに、なんで燃やすかねぇ」
あやみちゃんがフェンスに近づいていくので私も後ろから後を追った。
「わああ…」
町が燃えていた。
炎心は金色に輝いて、先端に向かうにつれて夕焼け色に変わっていく。炎だけが夜の空に浮かび上がっていた。夜に、月より星より美しいものをはじめて拝んだ。
あやみちゃんは美術品を鑑賞する瞳で炎を眺めた。
「火ぃみるスッとしね?」
「…あやみちゃんは炎が好きだもんね」
あやみちゃんの家が放火された夜もそうだった。
あやみちゃんのお母さんが二階の窓からもがくように身を乗り出して「助けて」と叫んだあの悲鳴を、いまでも時々思い出す。当時の私にとって、動物のようにキィキィ叫ぶ大人の姿はとても怖いものにみえたのだ。
あのとき、あやみちゃんは火だるまになっていく母親を凪いだ瞳で見つめていた。
もうダメだと悟ったのだろう。その瞳に光はなく、諦念だけが鈍く光っていた。
「花火しようよ、あやみちゃん」
彼が火で遊ぶようになったのはそれからだ。家族を燃やし尽くした炎を支配するように。
「そうだな」
あやみちゃんが私を気に入っている事については確信がある。
世界が終わる最後の日に、大事な人たちを差し置いて幼馴染を選んだのは私だけじゃない。あやみちゃんだって同じだ。
あやみちゃんがどうしていま私と一緒にいるのかは知らないが、たぶんこの人はもし私がこの場に誘わなければひとりで死んだだろう。平気でそういう事をする人だ。恋人も友達も平均より多く作るくせに、それはそれ、これはこれ、と平気で孤独を充実する。
あやみちゃんが時計に視線を落とした。
「0時ジャストに終わるらしいな」
地球が。
むかし地球に生息されていたとされる恐竜は、直径わずか10キロの隕石で絶滅したらしい。
今回衝突する隕石はその3倍。人類の滅亡は免れない。映画でしかみたことのないSFがいま、現実のものになろうとしている。
世界の滅亡はいまさっき、午後20時に臨時ニュースにて公表された。地球が滅亡することを、NASAは8年隠し続けた。世間はそれをひどく糾弾したが、私は英断だと思ってる。
私があやみちゃんに電話をかけたのは20時1分。自分が死ぬと知った瞬間、ひとりで死の瞬間を迎えるだろう彼の姿が脳裏を過ぎった。そのあとで必死に理由をこじつけた。
本当は花火なんかしなくていい。
「花火、しけってないといいね」
「大丈夫だろ、たぶん」
背を向けて歩き出したあやみちゃんは、屋上の真ん中に座り込んだ。
私は隣にしゃがむ。真っ先にねずみ花火を選んで私の足元にばら撒く辺り、性格の悪さが滲み出てる。
「ちょ、危なっ!?」
「はははっ」
手持ち花火を袋から選んで取り出した。
ススキ花火の先端から金の光が発射する。変色花火を3本持ったあやみちゃんが、緑の花火を私に向けて近づいてきたんで勢いよく逃げた。
雷のように四方に広がるスパーク花火、手で持つ部分に絵がついている絵型花火、菊のような火球がかわいい線香花火。
普段は大声なんてあげない私は、あやみちゃんと一緒にいるときだけ大きく叫ぶ。子供のように笑ってはしゃぐ。
あやみちゃんと一緒だとなんでも楽しかった。
彼が笑ってくれることが嬉しかった。
コンビニが花火を売りだす時期、金を寄せあって買溜める私たちを、コンビニの店員は嫌な目でみる。毎年の事なのでもう慣っこだが、それも今年で終わりだ。私達に来年は訪れない。
世界は今日、終わりを迎える。
「いやぁー、遊んだわあ」
満足した声音であやみちゃんが言う。
追いかけたり追いかけられたり、さんざん体力を消耗した私たちは毛布に包まって座り込んだ。町が燃えていた方とは反対側の、三陸海岸がみえる鉄柵の前。海は不気味な生物の屍骸が沈んでいるかのように仄暗く揺れている。
「あと2分だけど、なにか言い残すことは?」
ライターを左手で弄びながら、あやみちゃんが言った。これから、ライターの火とは比べ物にならないほど大きな業火に見舞われる。
「とくになし」
「え、まじで?」
「うん。あやみちゃんに改まって言いたいことも無いし」
「今までお世話になりましたとか言えよ」
「やだよ。私だってあやみちゃんにお世話したもん」
日本の反対側に隕石は落ちたらしい。
現在、温度4千度の熱風が風速300メートルで日本に近づいている。地球の裏側はすでにマグマだ。日本はこれから火の海に沈む。
「隕石が落下したとき、ブラジルに住んでた人にはどういう風に見えたんだろう」
「とりあえず、空に隕石の影が見える」
両手を後ろについて空をみあげた。
オーロラが出ている。昨晩からの異常気象だ。
地球が悲鳴を上げている。
「そのあとは?」
「国に直接隕石が衝突したわけじゃないらしいから、たぶん次に見えたのは、砕かれた隕石の破片じゃん?」
星みたいに見えたんじゃねえの?とあやみちゃんが笑う。地球に落下して砕かれた隕石は、一度大気圏まで跳ね返り、ふたたび隕石となって地球へと降り注いだという。流れ星のように。
「あと一分」
今日、日本は終わる。
予想時刻と同じ通り、空がだんだん赤くなってきた。真夜中なのにカラスが不自然に鳴いている。地球上の生物すべてに死が迫っていた。
「あやみちゃんは、何か言い残すことないの?」
星が落ちそうな夜を見つめる。
彼に言い残すことなどないだろう。聞きながら思った。あやみちゃんに未練はない。未練があるほど世界に執着していない。
「すきだよ」
思わず息を止めた。その意味を脳が理解する前に、ゴオオ、と地鳴りのような重音が響いた。空が夕焼けのように赤く染まり始めた。世界がゆっくりと終局に向かっているなかで、あやみちゃんは毛布のなかで私に寄り添った。
「今までありがとう。生まれ変わっても一緒にいたい。ずっと好きだった。異性として、かわいいと思ってた」
そんな気配なんてまるでなかった。
思春期なのに同じベットで寝た夜もあれば、互いの恋人の話もした。あやみちゃんはいつだって、いつだって平然と。
「一回くらい抱いときゃよかった」
唇が震えた。
いまなら死んでもいいと、本気で思った。
そんな私の願いを叶えるように、海から炎が立ち上がる。突風のような勢いで轟音でやってきて、頬に触れる2月の冷気は30度近く上昇した。髪の先端がチリチリ鳴る。人体に火が灯るのだ。これから。
あやみちゃん。あやみちゃん。
声に出さなかったのに、あやみちゃんはまるでそれが聴こえたみたいに微笑んだ。
「美月」
私達が死んだあと、太陽の光は一千年遮られると科学者が言っていた。人類が再生して文化を築くまで、気の遠くなるような歳月がかかる。
死が、迫ってる。
「…大丈夫だよ」
とん、と手の甲が触れた。どちらからともなく繋いだ手は、泣きたくなるほど温かかった。子供のとき、母とはぐれた私を探して見つけてくれたときと、同じ繋ぎかたで。
映像を寄せ集めてつぎはぎした昔の記憶が、頭の中で繰り返し再生される。人が走馬灯と呼ぶものだろう。人は愛があれば、こんなにも心穏やかに最期を受け入れることができるのか。
「生まれ変わったら、また花火しようぜ」
また明日があった頃と同じ調子であやみちゃんは笑った。盛大な爆発音が地球を割るように鳴り響いた。私はあやみちゃんの笑顔を脳裏に焼き付けるように強くみつめて、そっと目を閉じた。
唇に温かい何かが触れた気がした。
それは急激に高まった空気だったかもしれないし、それとも、もっと別の、愛を契る祈りだったのかもしれない。
さようなら、地球。
もしも奇跡が起こるなら、どうかまた彼のもとへ。
いい人生だった。
Fin
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いつか、どこかに繋がる物語。
私にはじめて彼氏ができた春、あやみちゃんの両親が事故で死んだ夏、私の誕生日を祝った秋、あやみちゃんが大学に受かった冬。私たちは花火をした。だから迷わなかった。
『花火する?』
電話越しであるあやみちゃんの表情がみえない。もしかしたら断られるかも。徐々に不安になってきたとき、黙り込んでいたあやみちゃんは静かな声で「そうだな」と言った。
『外は危ないから屋上でやるか』
続いた声に同意した。
携帯をみれば、久しぶりに昔の彼氏からメールが届いていた。同い年の男の子だ。名前と顔は覚えてるが声を忘れた。人が人を忘れる順番は声・顔・思い出だというのは本当らしい。
短い文章だった。
『あれからたくさんの人と付き合ったけど、美月のことがいちばん好きだった。さよなら』
春に付き合った人で、肌を重ねたのは夏。声が漏れないように閉めきった窓の外で、セミが鳴いていたのを覚えてる。彼は他の子と経験がある人で、私は処女だった。行為は痛みは伴わず、彼は丁寧に私を抱いてくれた。
少し考えて、返信する。
『ありがとう。さよなら』
彼とは冬に別れた。明確な理由はない。喧嘩も不満もなかった。ついでに言うなら愛もなかった。それが原因なのだろう。いまならわかる。私を少女から女性に変えてくれた元彼は、諦めるように私の髪を撫でて、別れよう、と呟いた。
あの日もあやみちゃんと一緒だった。
彼と別れた夜、私はあやみちゃんの部屋を訪れた。ジャージ姿で出迎えた寝起きの幼馴染に「彼氏と別れた」と告げれば、あやみちゃんは欠伸をしながら「ふうん」と流した。そして興味なさそうな顔で「花火する?」と聞いた。
『ホラ、おまえがソイツと付き合った日も花火したじゃん。別れた日もやっとけばさ、ちょっと締めくくった感ない?』
その理屈は理解できなかったが、私はこくりと頷いた。
それから花火は習慣化した。
22時。
どこにいるんだと聞かれ「公園のベンチ」と答えた私を鬼のように叱りつけたあやみちゃんは、なんと車で迎えにきた。私が知る限り彼は無免許だ。
彼は世界の寒気を恨むような眼差しで近づいてきた。
「おまえなんで制服?」
「高校に行くんでしょ」
「スカート寒くね?」
「ちょうさむい」
「ホントおまえ馬鹿」
屈指の名門大学に現役合格した頭のいい幼馴染は、短く舌打ちしながら私に上着をかぶせた。ポケットにわずかな重みを感じて確認すると小型のスタンガンとバタフライナイフが入っていた。
「あやみちゃん、どっちか使う?」
「どっちも持ってろ」
あやみちゃんは私を車まで案内した。ワインレッドの広い車。座ったクッションが深く沈んだ。
「オレさっき人殺したんだよね」
車をどこで手に入れたんだと問う間もなく、あやみちゃんが爆弾発言をする。その声があまりにも穏やかだったので危うく流すところだった。シートベルトを装着しながら運転席に座る幼馴染をみる。
「どうして殺したの?」
「轢いた」
車が出発する。
ここへ向かう途中に2人の人間を跳ねたという。曰く「裸で女を追い回してたやつと、死体の山の中心で高笑いしてたアホ」を轢いたらしい。
あやみちゃんは絵本を読み聞かせるような平静な声で罪を語った。人選がどう考えても意図的だ。轢いてもいいと判断した上でペダルを緩めなかったのだろう。
車がみるみるうちにスピードがあがっていく。これは事故ったら即死だ。
「この車すげえ乗り心地いいわ」
幼馴染は怖いほど普通に笑った。
罪の意識など空き缶を捨てた程度のものなのだ。そういう人だ。国が定めた法より己の感覚で物事を測る。
あやみちゃんの横顔をみる。耳にピアスが嵌められている。真ん中にルビーが嵌めこまれた十字架のピアスだ。誕生石なんて関係なくあやみちゃんは赤を好む。不思議な人だ。いまもむかしも。
「あやみちゃんさ」
「あー?」
「私が電話したときどこにいた?」
「大学。おまえは」
「お家」
あやみちゃんと私は幼馴染だ。私達は海が見える町で出会った。近くの家に住んでいた1つ上のお兄さん。幼稚園から高校まで一緒だったあやみちゃんと私は、私が引っ越したあとも定期的に連絡をとっていて、18年間ほぼずっと一緒にいる。
つきあってるの? と何度も冷やかされては首を横に振った。肯定も否定もしないタチの悪いあやみちゃんは去年、一足先に高校を先に卒業した。
「なんて言って外出許可もらったんだよ」
「なにも言ってない。反対されるし」
「馬っ鹿だねーおまえ」
歌うようにあやみちゃんが言う。
「じゃあ家族に挨拶してねぇの?」
「ううん。おねーちゃんだけは『さよなら』って、お別れした」
「へぇ。…優月オレになんか言ってた?」
「妹を誑かしやがってゲス野郎」
「うわ」
「地獄に堕ちろ」
「うわあぁ」
役に立たない信号機を無視して、車は軽やかに道路を駆け抜ける。
「死んだら優月に謝んねえと」
あやみちゃんは愉快そうに目を細めた。やけに機嫌が良い。備えつけのラジオに手を伸ばしつつ「楽しそうだね」と聞けば「わかる?」と返された。
「BM乗ってみたかったんだよな」
「びーえむ?」
「この車。高級車なの。乗り心地良いだろ?」
「わかんない」「これだから庶民は」
《臨時ニュースをお伝えします。》
ラジオが流れる。
「これだれの車?」
「大学教授。強奪した」
《…なお、悪質な行為を働いた者については、容赦なく殺害します。》
タイミングの良い言葉をきいて同時に笑った。
「殺害されるよあやみちゃん」
「窃盗は軽犯罪だろ。割に合わねえよ」
こんな事態に見舞われても秩序を守ろうとする日本人の精神は偉大だ。呂律の回らないアナウンサーがどもったまま話を押し進めるのを、あやみちゃんが「聞き苦しい」と言うまで聴いていた。
どのラジオ局も臨時ニュースか子守唄しか流していない。つまらないのでラジオは消した。
「携帯ってまだ生きてるかな?」
「なんで?」
「ツイッター。友達の安否確認」
「いま安否確認できたところで」
ふっとあやみちゃんが視線を流した。
20階建てのマンション。10階辺りに人がいた。嫌な予感がする。
「一分後には死んでるかもな」
その言葉がトリガーだったかのように人が飛んだ。ベランダから。落ちたのではない。あれは間違いなく意思を持って飛び降りた。
「う…」
あやみちゃんが視線を前に戻した。80キロで飛ばしていた車が40キロまでスピードダウンする。
あやみちゃんは嫌味っぽい流し目で私をみた。
「死体見にいく?」
「ぜったいイヤ!!」
「まだ友達の生存確認する?」
瞬間的な生存確認など無意味なのかもしれない。
あやみちゃんは薄く笑ってさらに速度を落として、死体が落下した地点を迂回した。
「せっかく携帯持ってきたのに」
「捨てれば?」
横の窓が開いた。
困惑する私を横目に、あやみちゃんはしれっとした声で続ける。
「持っててもしょうがねえじゃん。捨てろよ」
あやみちゃんはいつもそうだ。
1か0かですべてを計る。
けっきょく携帯は窓から投げ捨てた。
2年使ったスマホは、猛スピードで移り変わる風景の一部と化した。普通に過ごしてた頃は1日だって手放せなかったのに、捨てた瞬間なにかが吹っ切れたように気が楽になった。なんだか無性に楽しくなってきた。
「自由っていいね」
「そうだな」
人は人に囚われる。
体でも時間でもなく、精神を縛られている。
携帯には500人の友達が登録されていたが、いまの私は30人思い出すのがやっとだ。人の繋がりなんてこんなもの。
「あ」
「ん?」
「美月、掴まってろ」
「え?」
「揺れるぞ」
「は、うわああああ!?」
ガクンッ、とブレーキが踏まれた瞬間、あやみちゃんはハンドルを大きく回した。
大きな蛇行と揺れと衝撃。車が一回転と半周した。残像を残して視界が回る。タイヤとコンクリートが激しく摩擦を起こして断末魔のような音が鳴った。
「…あっぶねー。ぶつけるとこだった」
あやみちゃんは初運転でありながら、タクシーを捕まえるように片手をあげて車道に飛び出してきた男を避けるというパフォーマンスをしてみせた。
シートベルトがここぞとばかりに大活躍して事無きを得たが、心臓が体内で一回転したように吐き気がした。
「みつきちゃーん、生きてる?」
「…脳みそ揺れたんですけど」
「ウケる」
ウケない。
「なんで避けたの」
「人は殺しちゃいけませんって法律知らない?」
「言ってることめちゃくちゃだよぉ…」
圧迫された胸をさすりながら顔をしかめる。冗談にならないほど気持ちが悪くなってきた。
とくに内臓への負担が厳しい。
「やば、吐きそう」
「おー、吐け吐け。どうせ乗り捨てるし」
「服が汚れちゃうじゃん」
「後部座席に出せば?」
悪魔のようにケラケラ笑いながら嘔吐を推奨する幼馴染の誘惑になんとか耐え切った私は、車が停車すると同時に速攻外に飛び出した。しゃがみ込んで地面を睨みつける。脳がうわんうわんしている。気持ち悪い。
「おい」
砂利を踏む足がみえた。
顔をあげず足をみる。
「…私は二度と…車に乗らない」
「二度と乗れないから安心しろ」
「石になりたい」
「おーおー。蹴飛ばしたらどんだけ飛ぶかな?」
げしっ、と左腕を蹴られた、最低だ。なんて横暴なんだろう。ころんと後ろに転んだ私をみて笑うあやみちゃんは地獄に落ちたほうがいい。
「地面が冷たい」
「虚弱だな」
「幼馴染も冷たい」
「メンタル弱すぎ」
地面は固くてぶつけた尻が痛かった。
手を差し出してくれる優しさなど欠片もない幼馴染の性格は重々理解していたので、私は自力で立ち上がった。足と手についた土を払うと、あやみちゃんの視線が上下した。私の頭から爪先までをじっとみる。その不躾な視線にたじろいだ。
「な、なに」
「お前体重何キロ?」
「あやみちゃんってぜったい情緒に欠落あるよ…」
「60キロ以下?」
「私のどこに60キロの要素が!?」
両腕を広げて訴えれば、いつの間にか金属バットを持っていたあやみちゃんが、それを強引に手渡してきた。驚いて両手で受け止める。
「え? なに、」
「それ持ってろ」
あやみちゃんが視界から消える。屈みこんだのだ。そのまま自然な動作で腕が背中とふとももに回されてぎょっとする。
「ちょっ」
「るせ、舌噛むぞ」
ふわっと足が地面から離れた。なんの説明もしないまま高く抱き上げられて動揺する。
あやみちゃんの体温と匂いに脈が跳ねた。
「落ちんなよ」
ふとももを掴むあやみ先輩の指が肌に食い込んでぎゅっと目をつむった。心臓のざわめきを隠すようにくちをひらく。
「まってまって、こわ…高い揺れる危ない!」
「おまえが暴れなきゃ落とさねーよ」
ふとももの内側に食い込んだ親指に意識が持ってかれそうになるのを必死に堪え、心臓の高鳴りをなんとかやり過ごそうと意識を逸らした。
とにかく混乱を極めていた。
こんな、猫を抱っこするような色気のない作業でも、異性に肌を触られるのは緊張する。
きっと最後だ。
人生においてこれが、他人との最後の接触だ。
あやみちゃんは米俵を担ぐように私を担ぎ、閉ざされた校門をひょいっと飛び越えて着地した。10秒にも満たなかったと思う。びっくりするほど身軽な人。
「はーいおつかれさーん」
地獄の時間は過ぎ去った。
着地する振動で滑った指が尻と足の関節あたりに触れた瞬間、死ぬかとおもった。声をあげなかった自分を褒めてやりたい。
労るようにポンと肩を叩かれる。
「おまえ意外と軽かった」
「そんな感想いらないよ!」
「ソーネごめんねバッド貸して?」
このやろう。地面に降ろされた私はしぶしぶバットを手渡した。
真っ暗で先の見えない道を堂々と闊歩するあやみちゃんはマジで無敵だ。本物の怖いもの知らず。清閑としたグランドを見渡しながら、あやみちゃんに駆け寄った。
「昇降口は開いてないよ」
「なんで律儀にドアから入るんだよ」
割ろうぜ。
そう言って部屋の窓に近づいた。
室内を覗き込み、周囲を軽く確認したあと、バットを窓と垂直に立てる。
「ちょっと離れてろ」
パンッ、と乾いた音がした。
窓が割れた。一点を鋭く突くように割られたガラスの被害はおそらく最小限で、あやみちゃんはバットを投げ捨て内側の鍵を開錠して窓をひらいた。
「バッド捨てるの?」
「なに。バッティングでもする?」
「いや、しないけど」
足元に散らばるガラスに注意しながら中に侵入する。保健室だった。消毒液のにおいが鼻に突く。
「保健室だ」
「おれ高校生活で一度も来たことない」
「ここ寒いね」
「スカートなんか穿いてくるから」
「まだそこ責める…」
私達は羽毛の毛布を一枚と、保健室で手に入れた屋上の鍵を持って階段を登った。ふたりぶんの足音がコツコツ響く。土足のまま廊下を歩くことにいささか罪悪感を覚えつつ、今日ぐらい構わないだろうと開き直った気分にもなる。
「おっ」
3階の階段前で立ち止まったあやみちゃんは、ふっと視線を廊下に向けた。
3年生の教室がズラッと並んだ奥の奥など暗くてみえるはずもない。しかし、廊下の奥をひたと見据えた幼馴染は「なあ」と声を潜めた。
「6組お前のクラスだよな。寄ってく?」
「何しに」
「学校に愛着ねぇの」
「…いや、とくに」
「もう来れねえぞ?」
たしかに。
畳み掛けるように言われて少し考える。
しかし答えは同じだった。
「んー…大丈夫でかなぁ」
まっさらなキャンパスのように、清々しいほど未練も執着も感じなかった。
あやみちゃんはちらりと私をみたあと「そうか」と頷いて歩き始めた。もしかすると彼なりの気遣いだったのかもしれない。
3年間お世話になった学校の見納めにしては、淡々としている自覚がある。
「あやみちゃんは?」
「んー?」
「どっか思い出の場所とかないの?」
「ないね」
賢くて自信家で自分史に囚われないあやみちゃんはきっと、世界にだって未練はない。彼は衣食住すべてに興味がない。それは生きることに執着がないのと同義だ。
それから私達は無言で階段を登り、屋上の扉は壊すことなく鍵であけた。
「風つええ~!」
「屋上だからねえ!」
スカートを手で押さえながら叫ぶように喋る。
「お、なんかあっち燃えてね?」
「うそ、どこ?」
「西の方。あーあ、消防車も出動しないのに、なんで燃やすかねぇ」
あやみちゃんがフェンスに近づいていくので私も後ろから後を追った。
「わああ…」
町が燃えていた。
炎心は金色に輝いて、先端に向かうにつれて夕焼け色に変わっていく。炎だけが夜の空に浮かび上がっていた。夜に、月より星より美しいものをはじめて拝んだ。
あやみちゃんは美術品を鑑賞する瞳で炎を眺めた。
「火ぃみるスッとしね?」
「…あやみちゃんは炎が好きだもんね」
あやみちゃんの家が放火された夜もそうだった。
あやみちゃんのお母さんが二階の窓からもがくように身を乗り出して「助けて」と叫んだあの悲鳴を、いまでも時々思い出す。当時の私にとって、動物のようにキィキィ叫ぶ大人の姿はとても怖いものにみえたのだ。
あのとき、あやみちゃんは火だるまになっていく母親を凪いだ瞳で見つめていた。
もうダメだと悟ったのだろう。その瞳に光はなく、諦念だけが鈍く光っていた。
「花火しようよ、あやみちゃん」
彼が火で遊ぶようになったのはそれからだ。家族を燃やし尽くした炎を支配するように。
「そうだな」
あやみちゃんが私を気に入っている事については確信がある。
世界が終わる最後の日に、大事な人たちを差し置いて幼馴染を選んだのは私だけじゃない。あやみちゃんだって同じだ。
あやみちゃんがどうしていま私と一緒にいるのかは知らないが、たぶんこの人はもし私がこの場に誘わなければひとりで死んだだろう。平気でそういう事をする人だ。恋人も友達も平均より多く作るくせに、それはそれ、これはこれ、と平気で孤独を充実する。
あやみちゃんが時計に視線を落とした。
「0時ジャストに終わるらしいな」
地球が。
むかし地球に生息されていたとされる恐竜は、直径わずか10キロの隕石で絶滅したらしい。
今回衝突する隕石はその3倍。人類の滅亡は免れない。映画でしかみたことのないSFがいま、現実のものになろうとしている。
世界の滅亡はいまさっき、午後20時に臨時ニュースにて公表された。地球が滅亡することを、NASAは8年隠し続けた。世間はそれをひどく糾弾したが、私は英断だと思ってる。
私があやみちゃんに電話をかけたのは20時1分。自分が死ぬと知った瞬間、ひとりで死の瞬間を迎えるだろう彼の姿が脳裏を過ぎった。そのあとで必死に理由をこじつけた。
本当は花火なんかしなくていい。
「花火、しけってないといいね」
「大丈夫だろ、たぶん」
背を向けて歩き出したあやみちゃんは、屋上の真ん中に座り込んだ。
私は隣にしゃがむ。真っ先にねずみ花火を選んで私の足元にばら撒く辺り、性格の悪さが滲み出てる。
「ちょ、危なっ!?」
「はははっ」
手持ち花火を袋から選んで取り出した。
ススキ花火の先端から金の光が発射する。変色花火を3本持ったあやみちゃんが、緑の花火を私に向けて近づいてきたんで勢いよく逃げた。
雷のように四方に広がるスパーク花火、手で持つ部分に絵がついている絵型花火、菊のような火球がかわいい線香花火。
普段は大声なんてあげない私は、あやみちゃんと一緒にいるときだけ大きく叫ぶ。子供のように笑ってはしゃぐ。
あやみちゃんと一緒だとなんでも楽しかった。
彼が笑ってくれることが嬉しかった。
コンビニが花火を売りだす時期、金を寄せあって買溜める私たちを、コンビニの店員は嫌な目でみる。毎年の事なのでもう慣っこだが、それも今年で終わりだ。私達に来年は訪れない。
世界は今日、終わりを迎える。
「いやぁー、遊んだわあ」
満足した声音であやみちゃんが言う。
追いかけたり追いかけられたり、さんざん体力を消耗した私たちは毛布に包まって座り込んだ。町が燃えていた方とは反対側の、三陸海岸がみえる鉄柵の前。海は不気味な生物の屍骸が沈んでいるかのように仄暗く揺れている。
「あと2分だけど、なにか言い残すことは?」
ライターを左手で弄びながら、あやみちゃんが言った。これから、ライターの火とは比べ物にならないほど大きな業火に見舞われる。
「とくになし」
「え、まじで?」
「うん。あやみちゃんに改まって言いたいことも無いし」
「今までお世話になりましたとか言えよ」
「やだよ。私だってあやみちゃんにお世話したもん」
日本の反対側に隕石は落ちたらしい。
現在、温度4千度の熱風が風速300メートルで日本に近づいている。地球の裏側はすでにマグマだ。日本はこれから火の海に沈む。
「隕石が落下したとき、ブラジルに住んでた人にはどういう風に見えたんだろう」
「とりあえず、空に隕石の影が見える」
両手を後ろについて空をみあげた。
オーロラが出ている。昨晩からの異常気象だ。
地球が悲鳴を上げている。
「そのあとは?」
「国に直接隕石が衝突したわけじゃないらしいから、たぶん次に見えたのは、砕かれた隕石の破片じゃん?」
星みたいに見えたんじゃねえの?とあやみちゃんが笑う。地球に落下して砕かれた隕石は、一度大気圏まで跳ね返り、ふたたび隕石となって地球へと降り注いだという。流れ星のように。
「あと一分」
今日、日本は終わる。
予想時刻と同じ通り、空がだんだん赤くなってきた。真夜中なのにカラスが不自然に鳴いている。地球上の生物すべてに死が迫っていた。
「あやみちゃんは、何か言い残すことないの?」
星が落ちそうな夜を見つめる。
彼に言い残すことなどないだろう。聞きながら思った。あやみちゃんに未練はない。未練があるほど世界に執着していない。
「すきだよ」
思わず息を止めた。その意味を脳が理解する前に、ゴオオ、と地鳴りのような重音が響いた。空が夕焼けのように赤く染まり始めた。世界がゆっくりと終局に向かっているなかで、あやみちゃんは毛布のなかで私に寄り添った。
「今までありがとう。生まれ変わっても一緒にいたい。ずっと好きだった。異性として、かわいいと思ってた」
そんな気配なんてまるでなかった。
思春期なのに同じベットで寝た夜もあれば、互いの恋人の話もした。あやみちゃんはいつだって、いつだって平然と。
「一回くらい抱いときゃよかった」
唇が震えた。
いまなら死んでもいいと、本気で思った。
そんな私の願いを叶えるように、海から炎が立ち上がる。突風のような勢いで轟音でやってきて、頬に触れる2月の冷気は30度近く上昇した。髪の先端がチリチリ鳴る。人体に火が灯るのだ。これから。
あやみちゃん。あやみちゃん。
声に出さなかったのに、あやみちゃんはまるでそれが聴こえたみたいに微笑んだ。
「美月」
私達が死んだあと、太陽の光は一千年遮られると科学者が言っていた。人類が再生して文化を築くまで、気の遠くなるような歳月がかかる。
死が、迫ってる。
「…大丈夫だよ」
とん、と手の甲が触れた。どちらからともなく繋いだ手は、泣きたくなるほど温かかった。子供のとき、母とはぐれた私を探して見つけてくれたときと、同じ繋ぎかたで。
映像を寄せ集めてつぎはぎした昔の記憶が、頭の中で繰り返し再生される。人が走馬灯と呼ぶものだろう。人は愛があれば、こんなにも心穏やかに最期を受け入れることができるのか。
「生まれ変わったら、また花火しようぜ」
また明日があった頃と同じ調子であやみちゃんは笑った。盛大な爆発音が地球を割るように鳴り響いた。私はあやみちゃんの笑顔を脳裏に焼き付けるように強くみつめて、そっと目を閉じた。
唇に温かい何かが触れた気がした。
それは急激に高まった空気だったかもしれないし、それとも、もっと別の、愛を契る祈りだったのかもしれない。
さようなら、地球。
もしも奇跡が起こるなら、どうかまた彼のもとへ。
いい人生だった。
Fin
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いつか、どこかに繋がる物語。
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