2024年になったのか
あの頃のオレ達はただ純粋に互いが必要だった。
子供は大人のように、相性が良いとか趣味が合うとか、そういった基準で人を選ばない。
自分の一番近くにいる存在を頼り、好意を寄せ、互いの色に染めあいながら調和していく。だからこそ関係に行き止まりはなく果てしない。
小学校6年生、最後の春。
あの頃のオレは確かに、永遠を信じてた。
『10年後の自分に手紙なんか書いてどうするのさ。…ね、ゆずる。ボクいいこと思いついちゃった。明日のタイムカプセルに入れる手紙、ボク宛てに書いてよ。ボクはゆずる宛てに書くからさ』
一生傍にいる。
オレはそんな陳腐な考えを信じて疑わなかった。
■□
中学一年、春。
運命がやってきた。
交響団体の生演奏を聴きにいった日のことだった。きっかけはカラヤンだ。
そろそろスポーツに飽きるだろうという時期だった。
音楽にはとんと興味の無い小鳥は、何度も帰りたいと駄々をこねた。彼は一つのことに集中している最中、他すべてが疎かになる。
「ボク、音楽とか興味ないんですけど」
「まぁまぁ小鳥くん、そう言わずに」
音楽は教養になるから。そう言って小鳥を引き摺り連れてった祖父の強引さはたいしたものだ。
席に着くなり「ポップコーンはないの?」と皮肉った小鳥を豪快に笑い飛ばした祖父を、小鳥は「このひと苦手」と不機嫌に詰った。
「ゆずるのじいさんは皮肉も通じないの?」
「どうだろう。子供の我侭だと思ってるのかも」
根負けした小鳥はちょこんと席に座り、むすっとした顔で舞台を睨んでいた。
「ボク、5分聴いてつまらなかったら帰るから」
「そう言うなって」
苦笑いで引き止めてはみたものの、有限実行の小鳥ならやりかねない。彼が本気で途中退場したあとのフォローを考えつつ、やがて開始のアナウンスが流れ、客席が静まり返った。
黒い皮の椅子にふんぞり返る小鳥は、ちいさな王様みたいだった。
彼は舞台にあがってきた指揮者をみて、馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「うーわ」
いかにもストイックそうな指揮者だった。
小鳥は典型を嫌う。
教科書のように美しいバランスで成り立つバッハの音楽より、自分のスタイルを模索して組み立てるダンスのほうが肌に合う。
幼い頃一度だけオレに負けた習字で、それを痛感したのだと言う。はじめから型に嵌っているものを真似て競うものは嫌だと。独創的な小鳥らしい意見だと思った。
小鳥は目を細め、鼻で笑った。
「あーあ。指揮者の顔みただけで萎えちゃった」
せいぜい子守唄になるくらい静かな音楽ならいいねと欠伸をもらした小鳥は言う。オレは静かに目を閉じて「そうだね」と答えた。
小鳥が興味無いと吐き捨てるものを、いつしかオレも軽んじるようになっていた。
そしてこの日。
オレは初めて小鳥以外の天才に出会った。
その男は、音楽のために生まれてきた人間のように自在にオーケストラを操った。
ベートーベン。交響曲第3番、英雄。
フランスの共和主義を守るため戦っていたナポレオンに捧げられた曲だ。50分という長さの中にあらゆる変化を詰め込み、思いを乗せ、最後の盛り上がりへと発展していく。曲の素晴らしさに潰されることのない、指揮者の圧倒的なカリスマ性と存在感。
圧巻だった。
こんなにも素晴らしいベートーベンを振る人を他に知らない。
オレは50分間ずっと、時速180キロのジェットコースターに乗っているように身を硬くし、目を見開いていた。瞬きの僅かな瞬間さえ惜しい。心臓の音さえ雑音だ。
すごい。
すごい、すごい。
すごい。
「…ヘルベルト・フォン・カラヤン」
行儀良くお辞儀するカラヤンから視線を外せないまま、震える声で呼んだ。みっともないくらい裏返ったその声を、皮肉屋の幼馴染は笑わなかった。
あの男は、小鳥と同じ天才だ。
衝撃だった。
心のどこかで小鳥以外の天才は認めていなかったオレにとって、カラヤンは稲妻のように突然、オレの価値観すべてを覆した。
演奏が終わり、客席にいた人々が拍手を贈るなか、オレは腰が抜けて立つ事すらできなかった。
「…ゆずる」
耳に馴染んだ声に、ゆっくりと隣を向いた。
ことりだ。そうだ、小鳥がいる。小鳥もこの演奏を聴いていたのだ。
――ことり。
「ことり…あのひと」
「うん」
小鳥は泣くのを堪えるのように唇をわななかせ、かすかに狂気を含んだ声でわらった。
「あの人、すごい」
いままで一度も人を褒めたことのない小鳥が、自分以外の生き物を評価した。
それは地球上の生物が死に絶えることより、人間が月面を歩くことより、凄いことだとオレは思った。
人は二度生まれるという。
一度目は存在するために。
二度目は生きるために。
どこかとおくの静かな場所で、小鳥の産声を聞いた気がした。
□■
握手会があるからと、花束を抱き嬉々としてカラヤンに会いに行った祖父と会場で別れ、手を繋ぎながら帰路につく。
大地に陽が当たって温められた土から春の匂いがした。草木は静かに揺れ、春の小川に桜の花びらが流れてる。とおくで犬が高く鳴いた。夕日が沈む。世界が幕を閉じていく。
「ねぇゆずる」
心地良い春の風を受けながら、小鳥はぽつりと呟いた。どちからともなく立ち止まる。
繋いだ指先がすっと離れた。
オレは静かに顔を上げた。
向き合った先の、黒曜石のように深い黒の瞳は凪いでいた。
衝撃も振動も波紋もない穏やかな表情のまま、小鳥は運命の恋人と巡り会った少女のように、ふわりと笑う。
「ゆずる、ボクと一緒に音楽をしよう」
まるで壊れる前兆のように小鳥は美しかった。
世紀の天才指揮者と呼ばれたカラヤンと同じ時代を生きることができた。それは、小鳥にとってこの上ない僥倖であり、同時に、奈落の底に突き落とすくらいの絶望であった。
■□
それからの小鳥は新しい玩具を与えられた子供のように音楽にのめりこんでいった。
今までと違うのは、部活も勉強もこなして友達とも戯れるところだ。
一つのことにしか没頭できない飽き性の小鳥はそのスタンスをがらりと変え、なにか一つでも欠ければ死ぬと言わんばかりに、日常生活の謳歌した。
そしてオレと小鳥の関係も変化した。
学校では一切関わらない。小学校のときみたく中途半端な距離感じゃない。廊下ですれ違おうが同じクラスになろうが見向きもしない。小鳥は校内での干渉を全面的に拒絶した。
理由は聞いていない。
あるのかも知らない。
ただ小鳥が望む環境や距離を保つことを優先し、オレのささいな疑問などどうでもよかった。
□■
「ねぇ、ゆずるくん」
女子特有の柔らかい声に名を呼ばれ、ぼんやりと思考を飛ばしていたオレはハッとして後ろを振り返った。
くりっと大きな瞳と目が合う。隣の席の女子が不思議そうにこちらを見つめていた。
女子は長い睫をぱちぱちと瞬かせた。
教壇に教師はいない。
実習中だった。
「なにみてるの?」
「外だよ。サッカーやってたから」
「あ、本当だ。何組だろう」
「…3組だよ」
女子は窓を覗くように身を寄せてきた。かすかに肩が触れる。髪から花の香りがした。
不思議と嫌悪感はなく、触れ合った肩をそのままにオレは教室内を見渡した。実習と黒板に書かれた字は掠れ半分に消えていて、男子は席を立ち、女子は仲の良い同士で輪を作りお喋りをしていた。
女子はひょこっと顔をあげ、オレを見つめた。
「なんで3組ってわかるの?」
白雪姫のように肌が白く黒髪の綺麗な可愛い女の子だ。その黒髪は少しだけ小鳥に似てる。
いや、小鳥よりもこの子のほうが猫毛だ。
「小鳥遊がいるから」
「たかなしくん?」
「…小学校が同じだった奴」
久しぶりに呼んだ、小鳥の正式な名に口元が緩んだ。
中学に進学し、彼を「ことり」と呼ぶ者はめっきり減った。同じ小学校からこの中学へと進学した友達が3割を切っていることが一因だろう。
オレたちの住む町は東西南北それぞれに中学がある。
北の中学に行こうと提案したのは小鳥だった。
オレたちの学区内からは一番遠い中学だ。徒歩で30分はかかる。それでもオレは特にこれといった進学希望もなかったため二つ返事で了承した。
小鳥はみんなには嘘をついた。
東に進学すると。
バレたのは卒業式前日だった。
春から一緒に登校しようと誘ってきたともだちを、小鳥は「そういえば」と軽く笑って暴露した。
えええ、とクラスがどよめいたとき、オレは教室の隅で「ああ、ついに言ったか」と彼らを眺めた。
なんでなんでと小鳥を囲み、悲しむ者や驚くものが大半の中、もちろん責める者もいた。
心無い小鳥の嘘を、裏切りだと感じたのだろう。小鳥が6年間で築き上げた大きなグループの者達。彼らは揃って東に進んだ。きっと同じ中学へ進学しようと約束でもしたのだろう。
彼らは酷く傷ついた顔で憤り、納得のいく理由を小鳥に求めた。
『だってボク、ゆずる以外の友達が中学までついてくるの、うっとおしいんだもん』
罪悪感なんてひとつもないような顔で、小鳥は6年間傍にいた人間を切り離した。
もう何年も昔のことのように思えるそれは、その実まだ一年も経っていない。
小鳥はきっと、そんなこと覚えてもいないだろうけど。
「ゆずるくん、この時間になるといつも外見てるから、誰のこと見てるのかなあって気になってたんだ。…そっか、小鳥くんのこと見てたんだね」
ことりくん?
言葉に妙な引っ掛かりを覚えて女子をみれば、女子はへらりと気の抜けた笑みをこぼし、目を細めた。
「二人はずっと、仲が良いんだね」
ああ、もしかしたらコイツ、同じ小学校の人間なのかもしれない。そのときオレは、久しぶりに小鳥以外の人間をまじまじと凝視した。
顔も声も印象にないけど、小鳥のことを『小鳥』と呼ぶ人間を、久しぶりにみた。
・
・
・
「羽丘美月さん」
クラシックのレコードを止めた小鳥が歌うように口ずさんだ。オレは眉を潜め、首を傾げた。
「だれそれ。新しい演奏家?」
「…ゆずる、本気で言ってる?」
「回りくどい言い方やめろ。何が言いたいんだよ」
「…ふぅん」
小鳥が何かを探るようにオレをみた。
まんまるの瞳がすぅと細まり、小鳥は気位の高い猫のように顎をあげた。
「なんていうか、にぶいねぇ」
「はぁ。なんだそれ」
「ゆずるは彼女とか作らないの?」
「はぁ?」
話がまるで見えないまま、我が物顔でオレのベットに腰掛けていた幼馴染は、枕を抱きしめて寝転がった。ふわっと広がった黒髪に、一瞬だけ隣の席の女子が重なった。顔はもう思い出せない。
「おい、ブレザー脱げ。皺になる」
「ボク、最近彼女できたんだけどさ」
「知ってるよ」
「えええ。なんで知ってるの?」
わざとらしいことこの上ない。
「小鳥は派手なんだよ。色々と」
「なんだ。驚かせようと思ってたのに」
クスクスと笑いながら枕に口元を埋める小鳥から視線を外し、窓の外をみる。
小鳥が学校生活での話を振ってくるのは珍しい。友達だろうが彼女だろうが、なんとなく第三者の話をするのはタブーだと思い込んでいた。
オレたちの間に、決め事もタブーもある筈がないのに。
「別れようか?」
オレは窓の外を見たまま一度だけ瞬き、それから視線を小鳥に向けた。
さらりと告げられた言葉に反応できなかったのは、本格的に意味が分からなかったからだ。
「…はい?」
「だから、別れようかって」
「だれと」
「彼女に決まってるでしょ。ゆずるが別れて欲しいって言うなら、別れるよ」
感情が投影されないビー玉のような瞳でじっと見つめられ、居心地の悪さに身じろいだ。どういう流れでそうなったのかさっぱりわからない。もしかしたら寂しげな顔でもしたのだろうか。
小鳥がそんなことに気を遣うとも思えないが。
「お前、それは駄目だろ」
「どうして?」
「好きだから付き合ってるんだろ」
「付き合って欲しいって言われたから付き合ってるんだよ」
「…なんだそりゃ。じゃあおまえ、オレがもし付き合ってくれって言ったら、おまえ、オレと付き合うの?」
もちろん冗談のつもりだった。
人の心の機微をいまいち理解してない彼に道徳を説くつもりはない。ただほんの少し、小鳥の中でのオレの立ち位置を測りたかった。
なのに。
「そういう冗談、やめて」
小鳥は笑顔だった。
笑顔で、それでいて神妙な雰囲気で、視線を泳がせた。焦りとも苛立ちとも違う、初めてみる顔だった。
「小鳥?」
なにか言いたげな彼が、何も言ってこないだろうことは明白だった。最近の小鳥は察しろ精神が強い。なんでもかんでも分かり合えると本気で信じているのだ。
伏せた睫がゆっくりとあがってオレを見る。瞬間、そわっとした何かが背中を走る。心臓がドクドクと鳴って、空気が凍ったように指先に冷気をかんじた。
「―――……」
少しずつ少しずつ、変わってきてる。
なにが。それはなんだろう。
なにが変化してるのかは分からなかった。
わかりたくはなかった。
「ゆずる…あのさ」
小鳥は、うろ、と視線をさ迷わせ、それから何かを決意したようにオレに向き直った。ド、と心臓の脈が跳ねる。
小鳥はさいきん自分の意見を押し通さなくなった。探るように、俺の意見を求める。
押し付けられた言葉に頷くのではなく、オレ自身の言葉を、心を、欲しがる小鳥に、どんな感情を与えれば正解なのかがわからない。
わからない、けど。
「オレは小鳥に彼女ができてうれしいよ」
何かを。
致命的な何かを告げられる前に、遮った。
小鳥が少しだけ目を見開いた。
昔は天使のように可愛らしかった顔立ちも、いまでは女性以上に艶やかでうつくしい。沢山の才能を宿したこの美しい生き物を、オレは世界中の人間に小鳥を見せびらかして歩きたかった。
独占しようと思ってはいけない。
だってオレたちは幼馴染で、これからもずっと一緒にいる大切な友達だ。
だから、オレは小鳥を肯定する存在を否定してはいけない。小鳥の恋人も家族も友達も先生もすべて、彼に繋がる全ての人間を、オレは誰一人拒むことなく受け入れる。
「あぁ、そう。それはありがとう」
そっけなく、小鳥が言った。
絡み合っていた視線がはずれ、オレは脱力して息をついた。小鳥は自嘲した笑みを口元に浮かべ「彼女の話はもうやめよ」と遮った。
「もう飽きちゃった」
それはまるでオレに向けられてるのかと錯覚するほど冷たく、心臓の深い部分を一刺しされた気分だった。
その言葉を、小鳥は人に向けても使うのだと、俺は初めて怖くなった。
□□
跪く男第2話。
終わりが見えない。
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